その時、秋葉原に偶然居合わせたというだけで、理由もなく突然命を絶たれた被害者たち。あきらめきれない夢や将来があった。友や家族らは深い悲しみにくれながら、それぞれの言葉で愛する人への思いを語った。



 ◇武藤さん、音楽会社に内定



 「音楽で人を喜ばせたい」。武藤舞さん(21)はクラシックコンサートのプロデューサーを夢見ていた。在学していた東京芸大音楽学部では録音や音響を勉強し、音楽関連会社に就職が内定していた。アルバイト先の量販店店頭で携帯電話を販売していて刺された。指導する亀川徹准教授(47)は「彼女なら素晴らしいコンサートを企画できたはず。残念」と声を落とした。



 優しい性格とリーダーシップで親しまれた。都立日比谷高校の同級生(21)は「バンドでボーカルやキーボードを頑張っていた。カラオケで洋楽を歌うのがうまかった」と振り返る。最近は財団法人が開催するミニコンサートに参加し、高知県や山口県の老人ホームなどを回っていた。財団の小沢桜作さん(36)は「子供やお年寄りに人気だった。音楽の舞台に生きる舞台人としての一歩を踏み出したばかりだった」と悔しそうに話した。



 中学2年の時、中学生海外交流事業で米サンフランシスコに短期留学した。文集には「おいしかったのは生の果実をシェークのようにした飲み物。アメリカンサイズで飲みきれなくてもったいなかった」と現地での生活を描いた。一緒に留学した私立大4年、本間和基さん(21)は「1月に最後に会った時は、音楽の仕事の夢を語っていたのに」と話した。【杉本修作】



 ◇藤野さん、川口さんの友人「後ろにいた2人が…いない」



 東京電機大2年の藤野和倫さん(19)と東京情報大2年の川口隆裕さん(19)は、歩行者天国の交差点で加藤容疑者のトラックにはねられるなどして亡くなった。一緒にいた電機大の友人2人のうち1人がその瞬間を会員制サイトのブログに書き込んでいた。会員仲間からは励ましの書き込みが相次いだが、友人は「(加藤容疑者が)誰でもよかったと言っていることが許せない」と泣き崩れた。



 4人は8日朝、映画を見るためJR新宿駅で待ち合わせた。その後「食事でもしよう」と秋葉原へ向かったという。2人ずつ並んで歩いている時、トラックが右前から飛び込んできた。蛇行運転しタイヤがきしむ音が聞こえ、4人ともはねられた。友人はブログに「後ろにいた友達二人が…いない。ゾッとした」と書いた。藤野さんと川口さんはその場に倒れたまま帰らぬ人となった。



 「運命だから? そんなの残酷過ぎる…」友を失った悲しみと理不尽さを率直に書いたブログ。「かける言葉が見つからない」「無理すんなよ」「お友達のご冥福を祈ります」。哀悼と励ましの言葉が仲間から送られた。【弘田恭子】



【2008/6/10 毎日新聞】





【國際】【秋葉原通り魔事件】突然の悪夢…悲しみに暮れる遺族ら



小さなホールで演奏会を 夢語っていた武藤舞さん



 東京・秋葉原の無差別殺傷事件で死亡した東京芸大4年の武藤舞さん(21)は、来春から社会人として働くことを楽しみにしていた。小さなホールでのコンサートが夢だったという。



 「頭の回転が速く、一を言えば十を理解するようなタイプ。非常に優秀な子で将来が楽しみだった」。音楽環境創造学科で指導に当たっていた亀川徹准教授(47)は、何事にも一生懸命に取り組む武藤さんの人柄が印象に残っている。電子オルガンが得意で、大会にも出場していた。



 演奏家を支えるマネジメントや企画の仕事に就くことを希望しており、就職活動でも複数の内定をもらっていたという。都立日比谷高校で同級生だった大学2年の男子学生(22)は「高1の合唱祭のときは指揮者をして、クラスのみんなをリードした。ムードメーカーでみんなを引っ張るタイプだった」と悔やんだ。



中村さん偲ぶ近所の住民



 夫婦で歯科医を開業し、優しい人柄で近所でも評判だったという中村勝彦さん(74)。突然の訃(ふ)報(ほう)に近隣の住民からは驚きと悲しみの声が漏れた。



 近所に住む主婦(58)は「病院は少し離れたところにあるが、私の友人はわざわざ中村さんのところまで通って治療してもらっていた。腕のいい歯医者さんだった」と話した。



 数十年前から家族ぐるみの付き合いをしていたという主婦は「昨日の夜、テレビで事件を知った。まさかと思って言葉が出なかった。一昨日も近くで会って雑談したばかりだったのに」と声を詰まらせた。



 別の主婦(57)は「よく奥さんと車で出かける姿を見た。違う町内だけど、車の中からでも笑顔であいさつしてくれる優しい人」と話した。



「憔悴して夜も眠れません」小岩和宏さんの親族コメント



 秋葉原通り魔事件で、刺殺された小岩和弘さんの遺族は9日午前、警視庁を通じてコメントを発表した。マスコミに取材を自粛するよう記されている。



 ■遺族のコメント全文



 報道のみなさまへ



 8日の事件発覚後、自宅ご近所・親族宅等への取材が絶えず、社会の注目を集めていることにつきましてテレビ等を通じましても充分に認識をしております。



 大切な家族をこのような事件で突然失った思いは、皆様のご推察とたがうことはないと存じます。



 とにかく今は憔悴(しょうすい)し、夜も眠ることができません。



 私たちは故人を忍んで静かに見送りたいと存じます。



 つきましては、一切の取材についてお受けできかねますので、どうか主意をおくみとりいただきたく存じます。



 何とぞよろしくお願い申し上げます。



 小岩和弘の遺族・親族一同



「ばかやろう」と冷たくなった遺体に 川口隆裕さんの父



 死亡した東京情報大2年、川口隆裕さん(19)の父、健さん(53)は遺体に対面し思わず言った。「何で死んだんだ。ばかやろう」。顔には血が付いていた。おなかに手を触れた。冷たくなっていた。「もう動かないんだな。守ってあげられなくてすまん」



 一人息子の隆裕さんは「今どきの若者」。テレビゲームが好きでパソコンによく向かい、大学では情報系の勉強をしていた。



 生まれたとき、肺に異常があり、薬で肺を膨らませて生命が助かった。その後も肺の病気を抱え、昨年の大学入試直前に手術。先月にも肺気腫の手術を受け、退院したばかり。「たとえ出来が良くなくても、とにかく生きていてほしかった」と声を詰まらた。



 容疑者に対しては「殺してやりたい」と憤る一方、「そんな犯罪者が生まれないような社会になってほしい」とやり切れない様子だった。



「跡取りだったのに…」 唇かむ藤野さんの祖父



 亡くなった東京電機大2年、藤野和倫(かずのり)さん(19)=埼玉県熊谷市=は、友人と映画をみるため秋葉原へ行き、事件に巻き込まれたという。



 藤野さんは3人兄弟の次男。母方の祖父で、公認会計士の広治さん(81)は「孫だが、私の子供は娘が2人なので養子にしていた。藤野家の跡継ぎと決めていたのに…」と唇をかんだ。父方の祖父、岡田健市さん(80)によると、藤野さんは日ごろから「大学卒業後『跡を継ぎたい』と話していた」という。



 また、岡田さんは「『おじいちゃん、おばあちゃん』といって、よく遊びに来てくれた。3月の妻の誕生日には、私たち夫婦を100円すしに連れて行ってくれた。本当に優しい子でした」と声を詰まらせた。



 岡田さんは、藤野さんが全国の学校を回る行事に参加した際、「『今に日本を背負って立つような人になりたい』と話していたことが忘れられません」と目にうっすら涙を浮かべながら話した。



【2008/6/9 MSN産経ニュース】
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