【3月2日】1997年(平9) 

 スコアボードにお目当てのアノ人の名前がなかった。ざわめく超満員のスタンド、試合開始前からほろ酔い気分のお父さんがいら立ちながら大声を上げた。「イチロー出ないのか!イチロー見に来たんや。早く出せ!」。この声が合図だったかのように“イチローコール”が場内を覆い尽くした。

 騒ぎに驚いた球場がこんな放送したのは、試合開始の約10分前だった。「本日、イチロー選手はスタメンに入っていませんが、イチロー選手は途中から必ず出場します。ご安心ください」。予告先発ならぬ、異例の予告途中出場だった。

 日曜日の浦添市民球場。朝から観客が次々と集まり試合開始予定の正午には1万5000人の超満員。入りきれない観客はざっと5000人近くいた。対戦カードはオリックス-日本ハム。シーズン中、終盤の首位攻防戦でもなければ、札止めになることなんてほとんどない不人気カードも役者がそろっていると集客力が違った。オリックスは3年連続首位打者のイチロー外野手、そして日本ハムにはこの年巨人から移籍した落合博満内野手がいた。

 年に1、2度オープン戦が行われる程度の地域。沖縄での公式戦は1975年(昭50)以来、22年も行われていなかった。キャンプでいろいろな選手を見ても、やはり実戦での試合が見たい。それもスター選手が出場するゲームを…。なのに看板選手が2人ともスタメンから外れているとあっては、納得いくはずもなかったそれが“イチローコール”につながった。

 場内放送にイチローは複雑な気持ちだった。「あれはちょっと…。僕は特別じゃない」。オリックス・仰木彬監督は当初、イチローを休ませるつもりだったが、営業サイドからのたっての希望で出場することになった。

 6回1死一、二塁の場面で代打で登場。一ゴロに倒れ、そのまま右翼のポジションに入った。9回の2打席目も遊ゴロで無安打。それでも憧れの選手のプレーにファンは大きな声援と割れんばかりの拍手を送った。

 もう1人の“意中の人”は、9回になってもベンチから姿を見せていなかった。「オーチーアイ、オーチーアイ、オーチーアイ…」と連呼する満員の観衆。2死二、三塁。日本ハム・上田利治監督が動いた。一瞬息をのむスタンド。上田監督は丹波幸一球審に告げた。「ピンチヒッター、石本」。落胆のため息が球場全体からもれた。

 「落合コール?そんなのあったの?分からんかった」とトボける上田監督。「落合は最初から出すつもりはなかった。まだ出来上がっていないし」と苦しい説明だった。本音はパ・リーグに11年ぶりに復帰した落合の状態を前年優勝のオリックスに知られたくないというのがあった。出来上がっていない、といいつつ、前日の横浜戦には「4番・DH」で起用していたのがそれを物語っていた。

 ONがいたころの巨人はたとえ顔見せ程度でも両選手は必ずオープン戦に出場した。後楽園で年に何度も見られる首都圏のファンと違って、地方のファンは年に1度、極端な話、一生に1度ということもあったからだ。

 最近はファン重視の球団経営がかなり浸透してきたが、ドーム球場が増え、地方でオープン戦を組むことが少なくなったのは、なんとなく寂しいものである。


【2010/3/2 スポニチ】
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