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【6月1日】2000年(平12) 

 【ダイエー6―3日本ハム】フルカウントからの143キロの外角ストレート。強振したバットは豪快に空を切った。直後に“そのこと”を知っている、東京ドームの一部の観客からは拍手さえ起きた。

 2安打1打点と当たっていた、ダイエー・秋山幸二中堅手が7回、1死一、三塁の場面で空振り三振に倒れた。20年目の秋山の三振はこれで通算1588個。広島一筋23年、“鉄人”と呼ばれた衣笠祥雄内野手が記録した1587三振の記録を更新するプロ野球新記録となった。衣笠は2677試合出場での達成だったが、秋山のそれは1950試合での到達。このスピードも衣笠をはるかに“圧倒”した。

 記念の三振を奪ったのは生駒雅紀投手。因縁の対決だった。前日の5月31日、延長10回に代打で登場した秋山は2死一、二塁で初球の真っ直ぐをたたき、右翼フェンス直撃の決勝適時二塁打を放った。146キロ、渾身の直球を投げたのが生駒だった。24時間もたたないうちに、リベンジされた秋山。生駒の名前は日本新記録を奪った投手としてプロ野球史に刻まれることになった。

 「邪魔だよ。話したくないよ」。試合終了後、半分笑いながら番記者の前に現れた秋山。新記録は新記録でも打者にとっては、やっぱり負の記録。いい気分ではないのは確かだ。それでもスター選手、大人気ない行動はとらない。「こればっかりは試合に出続けての記録だから。嫌な記録?それは現役を終わってみないと分からないな」と答えた。

 初三振のことはよく覚えていた。「新人の年の消化試合。確か南海戦だった」。81年9月30日、南海との後期12回戦(大阪)。西武にドラフト外で入団した秋山はこの日「7番・三塁」でスタメン出場。秋山と15歳年の差がある、ベテラン上田次朗投手から喫した。「若い頃はブンブン振り回していたよ。ホームラン狙ってね」とチームの黄金時代と重なった西武での13年間を振り返った。

 ホームランと三振は紙一重、表裏のようなもの。秋山、衣笠はもとより、1520三振の門田博光外野手(南海など)、1478三振の野村克也捕手(南海など)、1462個の大島康徳内野手(中日など)ら通算三振数上位の選手は、最低でも400本近くのアーチをかけている。大半が2000本安打達成者でもあり、秋山もあと47本で名球会入りが迫っていた。三振王はバットを思い切り振って勝負した立派な勲章なのである。

 何の因果か、秋山の新記録達成の瞬間を前日本記録保持者の衣笠氏がラジオの解説の仕事で東京ドームにいた。「見逃しだけはやめてくれよ」と声をかけられた秋山。“要望どおり”?空振り三振に鉄人は言った。「好きで三振しているわけじゃない。それだけ試合に出てバットを振ったという証拠。試合に出続けていないと達成できない。これも野球のうち。バットを振れることに感謝してほしい。これからは“一人旅”をじっくりしてください」。秋山の“一人旅”はそれから2年続き、三振は1712個まで伸びた。

 その秋山の記録を抜き、歴代1位になったのは、かつて秋山とともにAK砲として西武打線の看板だった清原和博内野手。秋山を243個も上回る1955三振を数えた。

【2011/6/1 スポニチ】
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