(セ・リーグ、横浜1-5阪神、10回戦、阪神6勝4敗、1日、横浜)桜井、庄田で打ち止めとちゃうで。新たな若虎の台頭で、岡田阪神が3位・横浜に連勝。7月の大逆襲を確信させた。三回に先制弾を放った坂克彦内野手(21)は、移籍2年目でのプロ入り1号がプロ初安打という初々しさ。五回にも二塁打して、決勝打をお膳立てした内野の新星は打線の下克上に拍車をかける。




 ハマスタに巻き起こった『坂』コールは、なかなか鳴り止まなかった。21歳のニューヒーローは、帽子を取って何度も何度も丁寧なお辞儀を繰り返した。その初々しさに、歓声の輪はまた広がった。プロ4年目の坂が、交流戦直後の2連勝発進の立役者だ。

 「無我夢中でボールに食らいつきました。途中で打球を見失ったんですけど、お客さんの歓声で分かりました。うれしかったです」

 波に乗れないチームに投入された『8番・二塁』の“カンフル剤”が、輝きを放つ。三回一死。それまで完ぺき抑えられていた先発・寺原を痛打した。3球目の150キロ内角直球に体をクルリと回転。「追い込まれたんで、何とか粘ろうと思った。その前にボール球を振ってヤバイと思ったんですけど、切り替えられた」。高く舞い上がった白球は、追い風に乗って右翼席最前列で弾んだ。

 驚くなかれ。この先制弾が、プロ通算10打席目での記念すべき初安打。初安打初本塁打は、1995年10月8日横浜戦(横浜)の吉田浩以来となる。これでやっと、オレも猛虎戦士の一員や-。一軍最年少の21歳は、先輩たちの手荒い祝福に満面の笑みで応えた。

 どん底からはい上がってきた。「二塁レギュラーの可能性もあるな」。昨年の秋季倉敷キャンプで、岡田監督に野球センスを見初められた。春季キャンプも一軍スタートだったが、開幕は二軍で迎えた。出直しを誓った矢先だった。4月8日のウエスタン・広島戦(尾道)で、本塁クロスプレーの際に左鎖骨を骨折。緊急帰阪し、11日に手術を受けた。何やってるんやろ…。病院のベッドに寝そべりながら、己の不運を呪った。

 03年夏の甲子園、茨城・常総学院の主将として全国の頂点に立った。プロ入り後も近鉄、楽天、阪神と3球団を渡り歩き、着実にキャリアを積み重ねてきた。野球エリートが味わった初めての挫折。だが、気付いたこともあった。「こんなにグラウンドから離れたことはなかった。野球ができる大事さ、楽しさがよく分かった。いい経験ができました」。一皮むけ、芯の強さが加わった。

 3位の横浜にこれで5連勝で、区切りの30勝にようやく到達。その差を『4』まで縮めた。

 「これを機に、ボクを覚えてください」。初のヒーローインタビューをそう締めくくった。若い芽の奮闘が、大逆襲の始まりを予感させる。

(川端亮平)



■アラカルト
 ★生まれ&サイズ 1985年(昭和60年)9月6日、茨城県生まれ、21歳。1メートル80、76キロ。右投げ左打ち。血液型A
 ★甲子園球児 茨城・常総学院高で1年からレギュラー。夏の甲子園には3年連続で出場。3年時に全国制覇。04年D4巡目で近鉄入り。同年オフの分配ドラフトで楽天に加入後、06年6月に牧野との交換トレードで阪神移籍。年俸560万円。背番号「35」
 ★鮮烈デビュー 二軍でも初安打が本塁打。近鉄時代のプロ1年目、04年5月11日のサーパス5回戦(藤井寺)で小川から放っている。
 ★硬骨感 楽天時代の05年、春季・久米島キャンプ中に田尾監督(当時)の指導に対し、自らの打撃論を主張。「腰をひねらない方が打ちやすい。直されるのは嫌です。いった以上は、結果を出さないといけないですね」と自己流を貫く
 ★桜井の打棒に一役 右の代打で一軍に定着した桜井は「二軍調整中に借りた坂の練習用バットが合うんですよ」と吐露。思わぬラッキーアイテムの持ち主がようやく、本領を発揮した



★半年前には「あの人誰?」

 茨城県出身の坂は、今年1月4日、現ヤンキースの井川に連れられて、茨城・下館市内での『下館勝虎会』に初めて出席した。とはいっても、昨年移籍したばかりで、阪神ファンに馴染みは少ない。しかも、会で紹介される前にサイン会が開かれたもので-。

 机に並んだ2人。井川には長蛇の列。坂にはゼロ。朴訥な表情で座る青年に「あの人は誰?」という声もチラホラ。結局、井川にサインをもらった後、隣の坂にももらうという“ルール変更”がされたが、笑顔を絶やさず色紙にペンを走らせ続けた。これが半年前の現実。来年こそはファンにもみくちゃにされる坂の姿を見てみたい。

(堀啓介=前阪神担当)

【2007/7/2 サンスポ.COM】
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