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掛布雅之 本紙評論家リレーコラム
今の野球はFA移籍選手の活躍が、チームの浮沈にかかわる。阪神の快進撃も、広島から加入の新井が3番で機能していることが大きな要因だ。私の時代には、メジャー挑戦は考えられなかったし、FA制度もなかった。もし今の時代にプレーしていれば、どうしていたか。ふと考えるときがあるが、結論はいつも決まっている。やはり縦じま以外のユニホームは着なかった。
実は引退を決意したとき、何球団かに誘われた。熱心だったのが、私のことを深く知る人物のいるヤクルトと横浜だった。だが、そのときも他のユニホームを着て、甲子園でプレーする自分の姿は想像できなかった。
ヤクルトへ、と誘ってくれたのは、元阪神監督の安藤さんだった。ヘッドコーチとして「1年だけでいいから、広沢、池山におまえの野球する姿を見せてやってくれ」と声を掛けていただいた。横浜は監督の古葉さんだった。広島の三塁コーチ時代、一番近くで私のプレーを見てくれていた人である。「一緒に優勝目指して戦おう」と誘っていただいたが、丁寧にお断りするしかなかった。
ファンの思いを考えたり、「お前は阪神のユニホームを着続けろ」と、チームを去ったときの田淵さんの言葉を思い出したりすると、他の選択肢はなかった。引退試合でのファンの熱い声援を受け止めたとき、その決断は間違いでなかったと確信した。
今では、ひとつのユニホームを着続ける選手が少なくなった。プレーヤーの立場から考えると、どちらの時代が良いか、比較が出来ない。ただ、ファンの立場で考えると、昔の野球の方が純粋な気持ちで応援できただろう。(スポーツ報知評論家)
【2008/5/18 スポーツ報知】
今の野球はFA移籍選手の活躍が、チームの浮沈にかかわる。阪神の快進撃も、広島から加入の新井が3番で機能していることが大きな要因だ。私の時代には、メジャー挑戦は考えられなかったし、FA制度もなかった。もし今の時代にプレーしていれば、どうしていたか。ふと考えるときがあるが、結論はいつも決まっている。やはり縦じま以外のユニホームは着なかった。
実は引退を決意したとき、何球団かに誘われた。熱心だったのが、私のことを深く知る人物のいるヤクルトと横浜だった。だが、そのときも他のユニホームを着て、甲子園でプレーする自分の姿は想像できなかった。
ヤクルトへ、と誘ってくれたのは、元阪神監督の安藤さんだった。ヘッドコーチとして「1年だけでいいから、広沢、池山におまえの野球する姿を見せてやってくれ」と声を掛けていただいた。横浜は監督の古葉さんだった。広島の三塁コーチ時代、一番近くで私のプレーを見てくれていた人である。「一緒に優勝目指して戦おう」と誘っていただいたが、丁寧にお断りするしかなかった。
ファンの思いを考えたり、「お前は阪神のユニホームを着続けろ」と、チームを去ったときの田淵さんの言葉を思い出したりすると、他の選択肢はなかった。引退試合でのファンの熱い声援を受け止めたとき、その決断は間違いでなかったと確信した。
今では、ひとつのユニホームを着続ける選手が少なくなった。プレーヤーの立場から考えると、どちらの時代が良いか、比較が出来ない。ただ、ファンの立場で考えると、昔の野球の方が純粋な気持ちで応援できただろう。(スポーツ報知評論家)
【2008/5/18 スポーツ報知】
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