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【2月28日】2006年(平18) 

 【ロッテ6-3WBC台湾代表】いつかは4番に座ると思っていたが、大舞台を前にそれはやって来た。WBC台湾代表は4番の最有力候補、元ロサンゼルス・ドジャースの陳金峰(チェン・チンフォン)が足のけがで代表を辞退したことで、阪神の林威助(リン・ウェイツゥ)外野手を任命。この日のロッテとの練習試合で主砲として起用した。

 阪神でのキャリアは3年。2軍では3割1分8厘、10本塁打も1軍では前年の05年10月に初本塁打を打ったばかり。確かに練習では快音を響かせていたが、さすがに4番は荷が重いのでは…との指摘もあった。しかし、林華韋(リン・ファウェイ)監督は「一番パワーがあり、一番確実性のある選手。4番は彼で行く」と明言した。

 迎えたロッテ戦。まず左腕の加藤康介投手と対戦。苦手な左対左でタイミングが全く合わず、空振り三振を喫した。これで出ばなをくじかれた。続いてケビン・バーン、神田義英の両右腕にも三振。得意の右投手にさえ「バットのヘッドが出ない、金縛り状態」では、最後の左腕浅間敬太投手にも簡単に三振を奪われても不思議ではなかった。

 4打席4三振。4番の不振はそのまま試合結果に結びつき、ロッテの二線級の投手を攻略できなかった台湾は、完封負けを逃れるのがやっとの黒星となった。

 「打順は関係ない。タイミングが合わなかっただけ。まだWBCまでは時間があるし、修正できると思う」と気丈に話した林。実はタイミングが合わなかったのは、風邪薬のせいだった。ドーピング検査を考え、あえて注射を打たず内服薬を選んだが、これが眠気と視力低下を誘った。「ボールが速く見えてついていけなかった」と林は親しい記者にポツリと言った。

 だからこそ、雪辱を誓った林は3月3日、WBC1次ラウンドの韓国戦に燃えていた。メジャーリーガー4投手をつぎ込み、台湾打線を沈黙させた韓国。いよいよ9回、台湾2点ビハインドの展開で先頭打者は林。メジャー100勝投手の朴賛浩(パク・チャンホ)の真っ直ぐをとらえた打球は右翼へ一直線に飛んだ。低い弾道の当たりはフェンス直撃の二塁打。完封負けを簡単に許すまいという林のバットが生んだ執念の一撃だった。

 翌4日の日本戦でも西武・松坂大輔投手から左前打を放った。格上の韓国、日本に敗れ、WBCの2次ラウンドの進出はならなかったが、世界を代表する投手から安打を記録した林自身は決して力負けしたわけではなかった。

 「滅多にないチャンスだった。とてもいい経験になった」。阪神に戻ってきた林は確実に何かをつかんだ。06年、出場試合数は前年の8から一気に67となり、5本塁打13打点を記録。07年は15本塁打57打点でいずれもチーム2位の記録を残し、すっかりタイガースの中軸打者に成長した。

 08年は相次ぐけがで満足な数字を出せなかった。09年、林は再度WBC台湾代表のメンバーに名を連ねている。3年前の無名の選手ではない。スラッガーとして実力をつけた林のバットが、台湾悲願の2次ラウンド進出を実現する。

【2009/2/28 スポニチ】
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