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【10月7日】2008年(平20)
 
【楽天1―0ソフトバンク】楽天・山崎武司内野手の一撃が左翼線を襲うと、悲喜こもごもの思いが入り混じった悲鳴と歓声が雨のKスタ宮城を覆った。打球の行方を一塁側ベンチから確認した、ソフトバンク・王貞治監督の表情は厳しく、三塁側の楽天・野村克也監督は口元を緩め、おもむろに立ち上がり、選手たちを迎えた。

 シーズン最終戦。延長10回の末、楽天がソフトバンクにサヨナラ勝ちを収め、5位が確定。対照的にソフトバンクは12年ぶりの最下位が決定した。

  悔しそうに唇をかんだソフトバンク・王監督にとって、これが14年のホークス監督生活の最後の試合、いや50年にわたるプロ野球生活(ユニホームを着ていたのはうち44年)のラストゲームだった。

 感傷的な気分などはなかった。「勝てなかったことが悔しいね。試合そのものには悔いが残るよ。今年を、後半戦を象徴するような試合だった。勝負師としては、最後を勝利で飾れず残念だよ」。とにかく負けるのが大嫌い。それが全ての根本にあった王監督の野球人生。最後の最後まで勝敗にこだわり続けた勝負師の姿が「悔しい」という言葉に凝縮されていた。

 通算868本塁打、不滅の9連覇に象徴される、最高だった22年の現役生活。助監督を経て巨人の監督を務めた5年間はリーグ優勝1度のみと苦しんだが、6年間の充電を経てダイエーの4代目監督に就任。新球団にヤル気は感じられたが、万年Bクラスのチームは巨人時代にはありえ得ないことの連続だった。

 96年は監督として初の最下位。心ない輩から生卵をぶつけられた。選手の脱税事件にスパイ疑惑…次から次へと問題が起き、正直野球どころではない日もあった。99年、福岡移転後初優勝。2000年には長嶋茂雄監督率いる巨人と念願のON決戦が実現し、球界を大いに盛り上げた。

 黄金時代の幕開けかと思われたが、くすぶるダイエーの球団身売り話、そして01年に夫人が他界…。05年からソフトバンクにオーナーが代わり、心機一転もプレーオフで負け続け、日本シリーズには出られなかった。

 そして体をむしばんだ胃がんとの闘い。体力の限界まで挑戦し続けた背番号89の最後を汚してはならないと、愛弟子たちは必死だった。

 左かかと痛で欠場していた小久保裕紀内野手が強行出場し、9回1死二塁の場面で代打出場。楽天・田中将大投手と勝負したが、中飛に終わった。「絶対に監督を最下位で送り出すわけにはいかなかったのに…。モチベーションは高かったのに」。07年、王監督をもう1度胴上げしたいという思いで巨人から福岡へ戻ってきた男は、約束を果たせず目を潤ませた。

 左足甲疲労骨折をおして、小久保と同じく1軍登録された川崎宗則遊撃手も途中出場したが、勝利に導けずうつむいた。「最後にせっかく使ってもらったのに…。最下位は申し訳ない。つらいです」。

 試合後のセレモニーでも厳しかった王監督の表情が一瞬笑顔になったのは、“好敵手”野村監督からの花束贈呈だった。「ホームランも打点も何もかもアイツに抜かれた。アイツのおかげでオレの価値は半減や」と憎まれ口をたたきながらも「張り合いがなくなるな。最後にONのNがアノ人じゃなくて、オレで悪かったな」と、ボヤキのノムさんもこの日ばかりは寂しそうだった。

 王監督の計19年間の監督生活の成績は2507試合1315勝1118敗74分で勝率5割4分。長嶋監督の5割3分8厘よりも若干だが、高い勝率を残した。


【2010/10/7 スポニチ】
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