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【10月7日】1992年(平4) 


 【巨人1-0大洋】横浜大洋元年の78年(昭53)に入団し、15年間ホエールズ一筋、エースとしてチームを牽引してきた遠藤一彦投手が引退の日を迎えた。

 50年(昭25)以来親しまれてきた大洋ホエールズの名前が消え、新名称に変わるという発表があったばかりの中での引退試合だった。横浜スタジアム移転の年に大洋入りした遠藤が、大洋としての公式戦最終戦に先発、引退するというなんとも劇的なフィナーレに、消化試合の一戦は一転して3万人の超満員となった。

 ストレートの最速は143キロ。かつて「セ・リーグで一番速い」ともいわれた2年連続最多勝右腕の面影を垣間見るにつけ、スタンドからは「まだイケるぞー」と声が飛んだ。

 引退試合10日前、広島26回戦(広島)で6回4安打1失点で勝利投手。筋力トレーニングを練習メニューに積極的に取り入れるようになってから、ストレートの勢いが戻りだし、トレーニングコーチは「来年は復活する」と太鼓判を押された直後の引退表明。「まだやれるかなというのはあったが、もう体が前のようにいうことをきいてくれなくなった。先のことを考えると、このへんかなという気がした」と遠藤。沢村賞まで獲った134勝右腕だからこそ、納得いかない姿でマウンドには立ちたくなかったのだ。

 伝家の宝刀、フォークボールもキレ味十分。東海大の後輩、巨人・原辰徳一塁手もとらえたと思った瞬間、タイミングを外され中飛に仕留めた。2回は岡崎郁三塁手、村田真一捕手から連続三振。計45球、1645奪三振の記録を残して背番号24はハマスタのマウンドから去った。

 試合終了後のセレモニー。1年先輩の斉藤明夫投手と抱擁し、2人で人前はばからず大泣きした。横浜大洋の15年間、最高は79年の2位で3位が2回あったのみで、後はすべてBクラス。気前よく相手球団に貯金を許すことから“横浜大洋銀行”とまで言われた屈辱の中で、この2人だけは意地と実力で数々のタイトルを獲得した。だからこそ2人だけにしか分からない抱擁の涙だった。

 遠藤の後を受け、島田直也投手が2番手で登板。7回にはこの日1軍登録された、弱冠19歳のルーキー・三浦大輔投手がプロ初登板を果たした。

 「今まで最高の舞台が(奈良・高田商高時代の)県大会決勝でしたから…。でも緊張はしませんでした。それより大観衆の前で巨人相手に投げられて最高ッす」と三浦。巨人打線を相手に2回を29球パーフェクト。初三振は篠塚利夫二塁手から奪った。

 翌93年から大洋は横浜ベイスターズに。横浜大洋のエースが遠藤なら、09年までの17年間でベイスターズのエースといえば三浦。その“番長”が遠藤の通算134勝の記録を上回り、09年9月21日の阪神22回戦(横浜)、通算135勝をマークし、平松政次投手の201勝、秋山登投手の193勝に続いて生え抜き投手としては球団歴代3位の勝ち星となった。

 135勝目を完投で飾った三浦は「遠藤さんが引退した日、プロ初登板した試合を思い出しました」と感慨深げに話した。遠藤もなかなか勝てないチームで歯を食いしばって投げた。頼れる投手陣の柱が三浦1本のみという状態の横浜で、背番号18が元気なうちにもう1度優勝できるだろうか。三浦も来季は36歳。遠藤が引退した37歳とそう変わらない。時間はそんなに多く残されてはいない。


【2009/10/7 スポニチ】
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