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【10月13日】1990年(平2) 


 【ロッテ4-0西武】ストレートで始まり、最後はウイニングショットのフォークボールだった。5回1死一、三塁。西武・安藤信二二塁手の当たりは二ゴロ。4-6-3と渡り併殺打。プロ23年目、ロッテ・村田兆治投手は604試合、計5万2697球目を投げ終えた。

 40歳とは思えない、プロの打者を仕留めるのにまだ十分通用する球だった。それでも「自分の納得するボールが投げられなくなった」という頑固な背番号29は、ユニホームを脱ぐ決断をした。

 降りしきる雨の中での引退試合だった。試合は5回雨天コールドでロッテの勝利。阪神の若林忠志投手以来、41年ぶりに40代でのシーズン10勝目を挙げた村田は、本来の半分ではあったが「投手は完投してこそ」の美学を最後まで貫いた形での幕引きとなった。

 2ケタ勝てるのに引退。周囲はなぜ?と問いかけた。川崎球場に集まった2万2000人の観衆からは「お疲れさま」よりも「まだやれるぞ!」「辞めないでくれ!」という声ばかりが村田の背中に浴びせられた。

 ファンが惜しむのも無理はなかった。2回には本塁打42本でタイトルホルダーとなったデストラーデをこの日の最速145キロのストレートで空振り三振。140キロ台の直球はまだ当たり前のように投げられた。

 カーブ、スライダー、フォーク…どれをとってもまだ“プロでメシが食える”レベルだった。4回、清原和博一塁手を投ゴロに打ち取ったのはスライダー。打者に有利なカウント0-2からでも手が出てしまうほどのキレだった。

 そんな村田が引退を密かに決めたのは7月19日、オールスター前のダイエー13回戦(川崎)だった。完封ペースの投球が6回に突然3本の長短打を浴び1点を失った。続く4番のDH高柳秀樹外野手にもストレートを左前に弾き返され同点となった。

 逆転されるまではエースはマウンドを降りない。その暗黙のルールを村田は自ら破った。一塁側ベンチに向かって手首を小さく交差させてバツ印を作った。

 「ああ、オレもとうとう終わりなんだな…」。今まではKOされると「次こそ」という思いがフツフツと沸いてきたものだが、この日は違った。緊張の糸が切れ、ベンチで汗をぬぐってもぼう然と何も考えられない自分がいた。自信を持って投げた真っ直ぐが簡単に打たれたことは相当ショックだった。もうマウンドで責任を全うすることができない。初めて引退の2文字が現実となって目の前に現れた。

 松井球団社長、金田正一監督だけに決意を告げ、2カ月以上黙々と投げ続けた。その間、8月24日には600試合登板を達成。そのメモリアルデーは西武相手に4安打10奪三振の完封ショー。村田引退を感じているチームメイトはこの時皆無だった。

 「人生の喜びも悲しみもすべてこのマウンドにありました」。涙と雨でずぶ濡れとなった村田のあいさつを身じろぎもせずじっと聞いている男が西武ベンチにいた。清原だった。

 「プロフェッショナルがユニホームを着ているような人でした。村田さんとの対決はオレにとっては試験場みたいなもんやった。ホンマ寂しいです」。最後の対戦はどん詰まりの左飛と投ゴロ。“若造、まだまだだな”。村田のボールは清原をそう叱咤しているようだった。

 一方で村田は、ひと回り以上年の離れた清原のことを十分認めていた。「最近で言えば、門田さんと清原。この2人との対決が楽しみだった。清原はこれからのパ・リーグを背負って立つ男だよ」。若獅子に野球界のこれからを託して“昭和生まれの明治男”は、ユニホームを脱いだ。


【2009/10/13 スポニチ】

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