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【4月22日】1985年(昭60) 

 【阪神12―10中日】そぼ降る小雨の中、3時間48分の激闘を終えたナインが満面の笑みでナゴヤ球場の三塁側ベンチに帰ってきた。「ご苦労さん。ようやった!」。小柄な指揮官が一人ひとりに声をかけながら、握手を求めた。

 中日―阪神3回戦は両軍計35安打22得点の乱打戦の末、逆転した阪神が打ち勝った。「えらいゲームやった。それにしてもよう打ちますなぁ」。半分他人事のように番記者に口を開いた、阪神・吉田義男監督。まだ4月とはいえ、単独首位は77年4月18日以来、8年ぶり。思えば吉田監督が第1次政権の指揮を執っていた最終年。結果は4位に終わり、監督の座を追われた。

 「もう忘れましたわ。今の戦いが大事。一戦々々目の前の試合に勝っていくだけ」と話題には乗ってこなかったが、この打線の破壊力に半年後の“予感”をかすかに感じ取っていた。

 3点ビハインドの5回、勝ち投手の権利を意識した、西武から移籍の中日先発の杉本正投手を攻め、代打渡真利克則内野手の左前打を皮切りに、6安打を集めて4点を奪い逆転した。

 これで猛虎打線が活気づいた。6回、8番木戸克彦捕手の左前打から1死一、二塁の好機を作り、2番弘田澄男中堅手が2試合連続となる3号3点本塁打。ロッテに在籍していた76年以降の9年で1度も2ケタ本塁打を放っていない弘田が開幕8試合で早くも3号となる一発にベンチは盛り上がると、続くランディ・バース一塁手が5試合連続となる5号ソロ。この回、計6点を取り10―3。楽勝ムードとなった。

 ところが、直後に中日も逆襲する。6点を加えたその裏、不安定な阪神リリーフ陣からまず3番谷沢健一一塁手がこの試合2本目となる2号3点弾、代わった中西清起投手から6番宇野勝遊撃手も3ランを放ち、一気に1点差。7回には切り札、山本和行投手を投入したが、伏兵の石井昭男右翼手に同点弾を浴び、試合は振り出しに。ベンチで頭を抱える吉田監督。7点差が一気に吹き飛んだ。

 が、ここからが85年の阪神を象徴するゲームとなった。打ちまくる打線の中で、3打席音なしだった4番掛布雅之三塁手が中日の守護神・牛島和彦投手から左翼へ4号ソロ。ウイニングショットのフォークボールを狙い撃ちしての技ありの一発だった。

 9回には1番真弓明信右翼手が左中間へトドメの6号ソロ。前日の11点に続き、2夜連続の2ケタ得点なら、弘田、バース、掛布、真弓と本塁打を打った4人まで全員同じ顔ぶれ。優勝する年は到底勝てそうもない試合に勝ったり、言葉では説明できない不思議なゲームがあるが、この中日戦もそんな試合の1つ。吉田監督は「決してホームランだけで勝っているわけではない」と強調したが、この年の阪神の優勝はバースに象徴される本塁打攻勢でのVだった。

【2011/4/22 スポニチ】
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