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【4月20日】2008年(平20) 


 【西武4―3楽天】楽天・田中将大投手の146キロの真っ直ぐを強振した。バットの先に当たったが、打球は中堅右へと飛んでいった。楽天のセンター、鉄平がゆっくり後退し、落下点に入ったように見えたが、打球はそのままスタンドイン。「あれが入るのか…」ぼう然とする田中を横目にダイヤモンドを一周した、191センチ、95キロの巨漢クレイグ・ブラゼル内野手は意気揚々と生還した。

 「風にも助けられたかな。それとも昨日食べた牛丼のパワーかな」と上機嫌のライオンズの新助っ人。01年のアレックス・カブレラ内野手以来、西武では7年ぶりとなるリーグ一番乗りの10号本塁打。“ポスト・カブレラ”として獲得した背番号42は、シーズン60発ペースというハイスピードで量産体制に入った。

 「カブレラの数字と競うつもりはない。数字の目標も口にしないことにしている。なぜなら、自分のペースが崩れるからだ」。いつも陽気で気さくなブラゼルは目標とか、ライバルとかの質問が一番嫌いだった。だが、人のいいカントリーミュージックが好きな左打者はそれを顔に出さず、「ホームランの後は4三振してしまった。でも気にしないよ。だって野球は失敗の繰り返しで上手になっていくもの。僕はまだ28歳。まだまだ野球は知らない事ことだらけだからね」と自分からネタをふるサービス精神を見せた。

 メジャー経験はわずか2シーズンで29試合のみ。カンザスシティ・ロイヤルズ時代の04年、サヨナラ本塁打を放ったのが初アーチという球団史上2人しかいない派手な経歴を持つ。しかし、大リーグでの一撃は、これのみに終わった。マイナーでは通算162本塁打を記録していたが、メジャーでは変化球に苦労し定着できなかった。

 西武に入団後も同様の傾向は続き、10号弾一番乗りもその後失速。西武コーチ陣との確執も伝えられ、シーズン後半に受けた2つの死球の後遺症で、クライマックスシリーズも日本シリーズも欠場。27本塁打87打点の成績を残したが解雇された。

 西武退団後はボルティモア・オリオールズの招待選手としてスプリングキャンプに参加したが、メジャーに復帰できず、独立リーグでプレーしていたところ、阪神が期待はずれのケビン・メンチ外野手に代わる新外国人としてリストアップ。シーズン途中に加入した。

 2010年、阪神では7番に座ることが多いが、飛距離に関して言えばチーム一。かつては2球目までにバットを出して快打を放つ選手だったが、最近はボールをよく見て相手投手に球数を投げさせるため、ファウルで粘り、甘い球が来るのを待つ打撃が出来るようになった。

 来日1年目の打率が2割3分4厘だったのに対し、09年は2割9分1厘と上昇。元来研究熱心な選手。変化球への対応も覚え、30歳を迎えるにあたり、一段レベルが上がった。主砲の金本知憲外野手が本調子でない中、阪神5年ぶり優勝のカギを握っている。


【2010/4/20 スポニチ】

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