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阪神の掛布雅之2軍監督(61)が24日、日本テレビ系「人生が二度あれば」に出演し、1988年に33歳で引退した理由を明かした。

 引退から29年を経て、掛布2軍監督が自身の口で真相を語り始めた。

 「一番の理由ですか…。僕は5年続けて全試合に出場して、優勝もした。その翌年に手首を骨折した。それが引き金になったのは事実」。1986年4月、試合中の死球で左手首を骨折し、連続試合出場が663試合でストップ。これが大きな契機となった。

 しかし、掛布2軍監督はケガを直接的な理由とはせず、自身の“弱さ”を引退の一番の理由に挙げた。

 「良い時も悪い時も阪神の4番としてファンの前に立つのが、僕自身1つの目標だった。阪神ファンの方達は非常に厳しい目で我々の野球を見ますので、その厳しい目から背中を向けて逃げるということはゲームを休むこと。三振する姿もエラーする姿も、全てさらけ出すのが本当の4番。堂々とその義務から逃げられるケガなんですよ」

 阪神の4番という重圧から逃げたことで、掛布2軍監督は引退を決意した。

 「これはテレビで言ったことがありません。安心してしまった。あの厳しいバッターボックスに入らなくていいんだ。4番を務められるだけの強い精神力がなくなった時、7番は打てませんよね。4番としてユニホームを脱ぐべきだろう」と33歳の若さでバットを置いた。

 その経験から、去年7月にアキレス腱を断裂した阪神の西岡剛内野手には、ケガした当日、「お前、引退するつもりだろ?ケガを理由に辞めるな。後悔するぞ。自分が納得するまで続けろ」と電話で伝えたことも明かされた。

 また、最後に掛布2軍監督は「あの時に戻れるならば、引退するか、現役続行するか」の二択の質問を投げかけられると、「続けたでしょう。骨折をしても休まず、出続けたでしょう。何でそこで弱さを見せたと感じている。そうしないと、弱い掛布は目を覚まさない」としみじみと語り、当時の自身の弱さを悔いていた。

デイリースポーツ 2017/2/24
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