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努力惜しまず 鋼の肉体

1992年2月。ユニホームのズボンは、風にパタパタと揺れていた。
1メートル80、77キロ。広島の沖縄キャンプに参加したルーキー金本が、後にリプケンの偉大な記録に並ぶとは誰も想像できなかった。

ドラフト1位、町田公二郎(現阪神)ら有望株の陰に隠れ、東北福祉大に一浪して入学、同4位で入団した金本への期待感は薄かった。厳しい世界だから、やらなきゃ、やられる」。そこから、はい上がろうとする危機感が、鉄人の出発点だった。

先輩の野村謙二郎(現野球解説者)らが会員だった広島市内のスポーツクラブにすぐ、入会した。現在も指導するトレーナー平岡洋二(51)は、「今の姿は想像できなかったが、筋肉が柔らかく、いい素材だった」と回想する。

最初に手掛けたのは体重アップ。食が細かったため、回数を増やして、無理やり口に押し込んだ。そしてハードトレーニング。バランス良く筋肉を使うスクワットを重視した。バーベルを背負い、ゆっくりと腰を上げ下ろした。息苦しくなって、床に倒れ込むまで自分を追い込んだ。

シーズン中の筋トレにも、入団後まもなく取り組んだ。気に入った器具を、200万円で購入。オフも筋トレを続けるため、優勝旅行を除けば、海外に行ったことがない。手帳には12か月、びっしりと毎日の練習メニューが書き込まれている。

平岡が「球界NO1の肉体になった」と言い切るのが97年。入団時137キロだったスクワットの最高値は200キロに。初めて、打率3割、30本塁打をマークした。「球界のヘラクレス」と言われる肉体が完成した。

金本は言う。「トレーニングは、すべて技術に直結させるため」。ただ、休まず出場し続ける頑丈な体について、こんな表現を使った。『筋肉2枚重ね』のような感覚はある。上の筋肉が痛くても、まだ内側(の筋肉)があると感じることがある」

努力で手に入れた強い肉体。しかし、世界記録に至る過程では、多くのけが、精神的な挫折も介在していた。

鋼のような体を作り上げて、挫折をバネに築き上げた連続試合フル出場903試合の金字塔。記録到達の軌跡と、新・鉄人が見据える新たな目標を追う。(敬称略)

(2006年04月10日 読売新聞)
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