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【4月10日】1990年(平2) 


 【西武5―2近鉄】カウント2―1。追い込むと、マウンド上の背番号11はちぎれんばかりに右腕を振った。139キロのストレートが真ん中低めにきた。それまでストライクをとるのに四苦八苦していたのとは別人のごとく、ゾーンギリギリいっぱいのボールに、打席の若きスラッガーのバットは空を切った。

 藤井寺球場での西武1回戦に先発した近鉄・野茂英雄投手のプロ初登板、プロ最初のアウトは西武4番の清原和博一塁手から奪った空振り三振だった。「清原さんから三振を取るのが夢」。1歳年下の野茂にとって大阪・成城工高時代から雲の上の人だったPL学園高の超高校級スラッガーを仕留めるのは、密かな目標であった。それが初登板のマウンドで実現した。89年のドラフト会議で史上最高の8球団が競合した右腕。やはりただ者ではなかった。

 清原に投げる前の野茂は自滅の様相を呈していた。四球、失策、四球で無死満塁のピンチを初回から招いた。自らバントの処理を誤りエラーを記録するなど、並みの新人ならつぶれてしまう展開で清原を三振に仕留め、続く5番デストラーデに犠飛を打たれたものの、初回はこの1点に抑えた。

 それにしても不思議なデビュー戦だった。清原からストレートで三振を奪い、3番秋山幸二中堅手もオープン戦でほとんど見せなかったフォークで無安打に抑えるなど、ライオンズの中軸を力と技でねじ伏せながら、2番平野謙右翼手に2安打、8番伊東勤捕手には三塁打、二塁打、単打と3安打…。主役を抑えているのに、脇役に打たれ、その間に出した四球は7つ。そして三振も7つ。打たれた安打も7本で、パチンコではないが“777”が6回までに並んだ。

 7回も行くぞ、という気持ちでベンチにいた野茂に仰木彬監督が近づいた。「代わるか」。意志を確認するというよりは、監督の決定を伝えに来たという雰囲気だった。初回で36球を要し、6回まで既に投球数は158球を投げていた。

 4点ビハインド。攻撃のリズムをつかむためにも、球数の多い投手に投げさせ、守りの時間を長くするわけにはいかない。監督の“指令”に新人投手が逆らえるはずもなく、野茂はここで降板。味方の反撃も1点に終わり5失点で敗戦投手となった。

 どこに行くかは球に聞いてくれとばかり、粗削りな野茂の投球に西武・森監督は「あれだけ荒れたら打者も的を絞りずらい。ただ1球ずつには力がある。しかも三振を取りたい場面に、強打者からも三振を奪える。いい投手だよ、野茂は。まとまりだしたら手がつけられない、点を取るのが難しい投手になる」と評価した。

 一番その恐ろしさを感じていたのは清原だった。「きょうは7000万円の野茂や。あと5000万円分の力を出したら結構抑えられるで。エエ投手や」と、契約金推定1億2000万円を引き合いに出し、野茂の出来栄えを分析。あと5000万円分を出していった野茂はパ・リーグタイ記録の17奪三振で4月29日にプロ初勝利を達成すると、その後の活躍は周知の事実。清原の予言は見事に的中した。


【2010/4/10 スポニチ】
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