close
【1月30日】1982年(昭57) 


 V奪回を目指す広島は沖縄キャンプに参加する主力組のメンバーを発表。新人の中から、ドラフト1位の津田恒美投手(協和発酵)が選ばれた。「ウチのチームで獲っていないタイトルは新人王だけ。久しぶりに狙える選手が入ってきたな」。古葉竹識監督は自主トレ段階で、早くも評判に違わぬ津田の実力を見抜き大きな期待をかけた。

 ラブコールを送った巨人を拒否し、実家(山口県)に近く、子供の頃から好きだった広島に“逆指名”で入団。マウンド度胸の良さはベテランスカウト陣もうなるほどだったが、普通の新人と違う雰囲気を感じていたのは、カープの主砲・山本浩二外野手だった。

 「顔つきが違うんや。私服を着ているときは声も小さいし、下向いてニヤニヤしてるんだけど、グラウンド出ると引き締まるんだよ。勝負してやるって顔になるんだ。一流になる証拠だね」。

 肝心の投球についても外木場義郎投手コーチが太鼓判を押した。「フォームが素直で手をつけるところがない。故障の少ない投げ方。ストレートで押せる投手が久々に現れた。楽しみだね」。ストレートを投げている時の快活さとは対照的に、変化球は仕方がないから練習しているという不機嫌そうな表情がブルペンで印象的だった。「全部真っ直ぐ勝負をしたいくらい。マウンドで逃げるのは嫌いですから」と津田ははっきりと言い切った。

 ストレートへのこだわり。甲子園での苦い思い出が津田をそうさせた。78年夏。第60回大会の2回戦で津田を擁する南陽工(山口)は天理(奈良)と対戦。南陽工は0-1で惜敗した。痛恨の1点は津田が5回に8番打者に打たれた本塁打によるものだった。

 「打たれたのはストライクをとりにいったカーブ。落ちるはずが浮いてしまった。打たれた後“直球で勝負するべきだった”とずっと悔やんでいた。下位打線だと思って甘く見たのがいけなかった」。試合後、泣きじゃくりながら津田はたった1球の失投を嘆いた。試合時間はこの20年間で最短の1時間25分。8月15日の終戦記念日に津田の夏も終わった。

 「弱気は最大の敵」。あの日から津田のピッチングの基本はこの言葉に集約された。厳しい場面で津田は勝負球にいつもストレートを選んだ。プロ入り後、先発に抑えに大活躍をしたが、チームの勝敗にかかわる場面で痛打を浴びると決まって「打たれた球はストレート」と答えた。どうみても変化球を打たれたのに、そう言ったのは自分のポリシーに反して投げてボールを打たれたことを知られたくなかったからだった。

 1年目の津田は4月29日の大洋6回戦(横浜)で4安打2失点完投のプロ初勝利を収めると、シーズン11勝(6敗)の好成績を挙げ、見事新人王を獲得。5位大洋と6位ヤクルトに5勝ずつした以外は巨人に1勝したのみ。「カープから初の新人王を」という球団関係者の悲願を達成すべく、古葉監督は下位チームを中心に津田のローテーションを組んだ。

 津田の新人王獲得を契機に広島はルーキーの活躍が目立つようになった。2年後の84年に小早川毅彦内野手、85年に川端順投手、86年に長冨浩志投手と3年連続新人王を輩出。昨年まで6人が一生に一度きりの栄誉を授かった。

 2010年は1位にセンバツ優勝投手の今村猛(長崎・清峰高)、2位に夏の甲子園V腕・堂林翔太を内野手として獲得した。高校出で新人王という選手は広島にまだいないだけに期待が高まる。


【2010/1/30 スポニチ】
arrow
arrow
    全站熱搜

    ht31sho 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()