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【10月11日】2000年(平12) 

 【広島2-1ヤクルト】20世紀最後のセ・リーグ公式戦が行われた神宮球場は4位ヤクルトと5位広島のBクラス確定の消化試合、の様相ではなかった。特に2人の選手にとっては、名前が球史に残るかどうかの戦いだった。

 ヤクルト・石井一久投手はこの最終戦の前まで防御率2・626の投手成績2位。1位の中日・山本昌の2・610とその差わずから0・016。あと1回3分の1を無失点に抑えれば2・606となり、0・004というきわどい差で、奪三振と合わせて2つのタイトルを獲得することになる。タイトルにはそれほど執着していない石井一だが、防御率1位は投手としての勲章。「獲れるものなら」と最終戦での登板を決意した。

 90年代のヤクルト躍進の原動力となった岡林洋一投手が引退するため、最後のスターターとして投げた1回を受け、石井一は2回からマウンドへ。5番・新井貴浩三塁手からシーズン210個目の三振を奪うなど、2回を3人で切り抜けると、続く3回も7番・東出輝裕遊撃手を三塁ライナーに仕留め、お役御免。18球で4人の打者を抑えて、山本昌を抜いた。

 パ・リーグでは98年にロッテ・伊良部秀輝投手が防御率2・402で同じロッテのエリック・ヒルマン投手2・404を0・002上回るという“史上最少”の争いが展開されたが、セでは小数第2位までの争いが過去2回あったのみで、セ・リーグ史上では一番僅差の競い合いでのタイトル決定となった。

 「嬉しいですけれど、Bクラスですから…」といつものややぶっきらぼうな“カズヒサ節”で感想を語った石井一。97年の日本一以来、3年続けて4位のチーム成績にエースとして10勝9敗の星勘定には納得がいくはずもなかったが、結婚したばかりのフジテレビアナウンサー、木佐彩子さんと顔を合わせるとさすがに笑顔。「来年はもっと欲を出していく」と話し、内に秘めたものを感じさせた。

 01年の石井一はその言葉通りに“奮投”した。開幕投手を務め勝利を飾るとシーズン12勝6敗の好成績。チームも若松勉監督になって3年目で初優勝、日本シリーズ第1戦で近鉄の“いてまえ打線”を完封した石井一は日本一を置き土産に米大リーグに挑戦した。

 もう一人、記録に挑んでいたのが広島・金本知憲外野手。こちらは95年の野村謙二郎内野手以来、歴代8人目の「3割、30本、30盗塁」のいわゆる「トリプル3」を目指し、あと本塁打1本に迫っていた。

 少しでも打席が多い方が、と達川晃豊監督は金本を1番で起用。引退する岡林にも真剣勝負だった。4回、先頭打者で打席に入った金本は、岡林、石井一の後を継いだ3番手の宮出隆自投手(その後野手に転向)から右翼中段に飛び込む30号ソロアーチを放った。

 地元最終戦となる中日との市民球場での3連戦で本塁打が出ず「眠れない日々が続いた。正直自分はあきらめていたが、ファンの声援があきらめていなかった。それに応えたかった」と感慨無量。打率3割1分5厘は余裕も、30本塁打、30盗塁はギリギリセーフのライン。過去2部門にわたって“最低限”の数字でクリアしたのは金本だけだった。

【2008/10/11 スポニチ】
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