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【10月26日】1998年(平10) 

 【横浜2-1西武】細かいことは言わないキャプテンが珍しくナインに集合をかけた。横浜スタジアムの一塁側ベンチ前。横浜のキャプテン、駒田徳広一塁手は硬くこわばった表情のベイスターズナインを前に、笑みをたたえながら口を開いた。「先のことを考えるのはよそうよ。まずは自分の打つところだけ、目の前に来たボールを打とう。打球の行方なんて、みんなにみてもらえればいい」。冷静に話したつもりだが、自然と大声になっていた。

 日本シリーズ第6戦。敵地でシリーズ記録の20安打、同2位の17得点を挙げ、日本一に王手をかけたマシンガン打線が6回まで1安打無得点。第1戦でKOした西武・西口文也投手に完全に翻弄されたというより、後ろにつなげようつなげようとして逆に思い切りのいいバッティングができなくなっていた。

 8回、二死一、二塁。得点は0-0のまま。ゲキを飛ばした駒田自身にその言葉を実践するシーンがめぐってきた。「プレッシャーというより、なにせ一番年上ですから。だらしないことはできない」。第4戦まで1割3分3厘。ホーム2連勝も所沢で2連敗した一因は5番打者のバットが湿っていたからでもあった。5戦目で“満塁男”の異名通り、走者一掃の三塁打を放ち、調子を取り戻した背番号10。94年、巨人からFA移籍して以来、最高の見せ場だった。

 カウント0-1の2球目。107キロのチェンジアップが外角高めに浮いた。36歳の左打者が強振すると、打球は逆風をついて右中間に舞い上がった。「捕らないでくれ、捕らないでくれ」。駒田だけではなく、スタジアムを埋め尽くしたベイスターズファン、そしいベンチも祈るような思いだった。滞空時間の長い打球は右中間フェンスの最上部、金網に当たってポトリと外野のウォーミングアップゾーンに落ちた。

 二塁走者の波留敏夫中堅手が、一塁走者の鈴木尚典左翼手が相次いでホームベースを駆け抜けた。二塁ベース上では「相手投手に失礼」と滅多にしないガッツポーズを、駒田が何度も何度もしていた。

 値千金の決勝二塁打で2点を奪った横浜は、9回にフィルダースチョイスで1点を与えたが、大魔神・佐々木主浩投手が代打の金村義明内野手を併殺打に打ち取り、ゲームセット。ウイニングボールは決勝打の駒田がガッチリつかんだ。

 余韻に浸っていたわけではないが、歓喜の輪に入るのに一歩出遅れた。「アウトカウント間違ってないよな、二塁の塁審がセーフとか言ってないよな、これで本当に終わったんだよな…」。38年の長い長いトンネルから抜けた瞬間、駒田はこんなことを考えていたからだった。それが夢ではなく、現実だと分かった時、すでにチームメイトはマウンドの佐々木のところに集まり、喜びを爆発させていた。

 駒田はなおも慎重だった。バンザイをしながら、絶対にやらなければならないことをキッチリやってから権藤博監督の胴上げに加わった。「(ウイニングボールを)ちゃんとポケットに入れて、胴上げの時になくさないように大事に持ってました」。

 38年前に優勝した前身の大洋ホエールズの土井淳捕手が大毎(現ロッテ)とのシリーズ第4戦で最後の打者が三振した際、嬉しくてウイニングボールをスタンドへ放り投げ、そのまま行方不明に。球団唯一の優勝記念ボールがなかったことから、これだけは何があってもなくすことができない大切な球だった。

 あれから丸10年。駒田は打撃コーチとしてベイスターズに帰ってきた。一方で、シリーズMVPだった鈴木尚、この第6戦に先発した川村丈夫投手は08年限りで引退。駒田と同じくシリーズ優秀選手賞に輝いた石井琢朗遊撃手は20年所属したチームから戦力外通告された。横浜の星たちが一番輝いたあの夜にスタメン出場したベイ戦士で球団に残り続けているのは、佐伯貴弘右翼手のみになってしまった。横浜スタジアムが再びあの興奮と感激に包まれる日はやって来るだろうか。投手陣整備が急がれる横浜だが、もう一つの課題である左打者のレベルアップに駒田新コーチにかかる期待は大きい。

【2008/10/26 スポニチ】
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