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【10月31日】1985年(昭60) 

 【阪神7-2西武】重苦しい雰囲気を打ち破った一撃だった。敵地所沢で2連勝しながら、地元甲子園で2連敗した阪神。一気に優勝どころか、王手をかけられる可能性も出てきた第5戦でようやく4番・掛布雅之三塁手のバットが火を噴いた。

 初回、真弓明信右翼手の内野安打、ランディ・バース一塁手の四球で一死一、二塁の絶好の先制機。打席に入った掛布の表情は、甲子園での過去2試合とは違っていた。「きょうのカケはいい目しとる。いくでぇ、これは」。ベンチの“応援団長”川藤幸三外野手はつぶやいた。

 シリーズ4試合で13打数3安打。前を打つバースが3本塁打8打点なのに比べ、打点はゼロ。ペナントレースであれだけ猛打で各球団を震え上がらせた打線は、掛布の成績に歩調を合わせるかのように、4試合で2ケタ安打なし。西武に傾いた流れを引き戻すには、4番のひと振りが必要だった。

 西武の先発は小野和幸投手。カウント1-2からの4球目のストレートはシュート回転して真ん中に入った。絶好球にプロの打者なら反応しないはずがない。だが、不振を物語るように掛布は「タイミングずれた。詰まった」。

 それでも打球がグングン伸びたのは「振り切ったことが良かった」(掛布)からだった。一直線に伸びた打球はセンターへ。背走していた西武・岡村隆則中堅手の足が止まった。バックスクリーンを直撃した白球は特大の先制3点弾となってはねた。

 歓声、紙吹雪、揺れる黄色いメガホン…。ミスター・タイガースの待ちに待った一撃に5万1430人の大観衆は、眠りから覚めた主砲に向かって“歓虎”の雄叫びを上げた。真弓、バースに続いて生還した背番号31に、吉田義男監督が細い目をさらに細くして出迎えた。

 「ええか、甲子園での(85年)最後のゲームくらい、お客さんに喜んでもらおうやないか。ワシらはチャレンジャーや。チャレンジャーらしく、気迫と気力でぶつかるんや。ええな」。試合前のミーティング。精彩のない掛布の目をにらみつけるようにハッパをかけた指揮官は、その期待に一発で答えを出してくれたことが何より嬉しかったのだ。

 打つべき人が打てば打線は火がつく。5回にはこの年大洋から移籍の長崎啓二左翼手が右越えの1号2ランを放つなど、西武の繰り出した6投手から10安打を放ったタイガースが同じ10安打を打ったライオンズに圧勝。初の日本一に向かって王手をかけた。「やっとウチらしい攻撃ができた。これで絶対有利になったと思う。あと2試合あるけど、次の試合で決める気で戦う」。お立ち台に立った掛布がそういうとシリーズに突入後初めて笑った。1964年(昭39)10月2日、ジーン・バッキー投手が南海打線を2点に抑えて5-2で白星を飾った、日本シリーズ第2戦以来、甲子園ではシリーズ4連敗中だった阪神がようやく連敗を止めた。

 ファンの興奮は収まらない。試合終了後、再度所沢へ向かうため、伊丹空港から飛行機に乗り込んだ阪神ナイン。空港にも多くの虎党が集まっていたため、混乱を恐れた空港側は特別にパイロット専用の通用口から選手を機内へ案内した。が、客室にはナインと同じ便で“攻め上ろう”とするファンが20人ほどいた。目覚めた主砲掛布を見つけると、ヒッティングマーチでもある「GOGO掛布」を合唱。機内が再度甲子園と化した。

 完全にペースを取り戻した阪神は第6戦で西武を一蹴した。長崎の2号満塁弾でスタートした試合は、真弓の2号ソロで中押し、トドメは掛布の左翼への2点本塁打で9-3と圧勝。阪神は球団初の日本シリーズ制覇を果たした。同時にヤクルト、西武で日本一3回を勝ち取った名将・広岡達朗監督が負けた唯一の日本シリーズだった。

 以後、阪神は03年、05年とリーグ優勝したものの、シリーズでは日本一に手が届いていない。85年のシリーズで優秀選手として表彰された真弓明信新監督の下、09年は20年以上遠ざかっている日本一に向かって挑戦する。

【2008/10/31 スポニチ】
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