阪神が来年3月に改装オープン予定の甲子園球場に、初代と2代目のミスター・タイガースである藤村富美男、村山実両氏のモニュメントを新設することが4日、明らかになった。特に、晩年は不遇だった藤村氏の功績に再びスポットライトを当て、新時代のボールパークに花を添える。

 新しい甲子園球場を訪れたオールドファンが、孫に語り聞かせる光景が見られるかもしれない。「藤村はガッツがあるタイガースらしい選手だったんだよ」と―。

 球団幹部は「どういう形にするかは検討中だが、必ず、藤村さんと村山さんを新甲子園に“招待”したい」と明かした。モニュメントか銅像で、来季開幕前に完成するリニューアル甲子園の外周か、阪神電車の甲子園駅から球場へ向かう歩道に設置する。「日本の球界も大リーグのように伝統を重んじるべきだ」というコンセプトの下、ボールパークのような雰囲気づくりを構想。ファンの目に留まるスポットを永久欠番の2人に用意する。

 物干しざおバットから放つ豪打で甲子園を沸かせた藤村氏は「猛虎」の象徴だったが、突出しすぎた存在だったためだろうか、選手兼任監督時代の56年にはナインから排斥運動を起こされるなど、晩年は不遇でもあった。現役引退後は球団との関係もすっかり疎遠になっていたといい、他球団でコーチを務めたが、二度とタテジマに袖を通すことはなかった。

 だが、球団幹部は「歴史を振り返れば、藤村さん抜きでは今の阪神も語れない」と“再評価”。2リーグ分立時に若林忠志氏や土井垣武氏ら中心選手が毎日に移籍したが、藤村氏が阪神の顔として伝統を継承した功績をたたえる。

 「伝統をファンだけでなく、選手にも知ってもらいたい」と球団幹部は願う。藤村氏、村山氏に見守られながら、甲子園とタイガースは伝説を受け継いでいく。

 ◆藤村富美男(ふじむら・ふみお)1916年8月14日、広島県呉市生まれ。呉港中のエースとして甲子園に4度出場し、34年に全国優勝。36年に阪神(当時大阪タイガース)入団。「物干しざお」と呼ばれた38インチの長いバットで首位打者1度、本塁打王3度、打点王5度。46年と55、56年は選手兼監督、57年は監督、58年は現役に戻ったが同年限りで引退。現役通算成績は1558試合で打率3割、224本塁打、1126打点。背番号10は永久欠番。63年からは国鉄、東映のコーチを歴任。74年に殿堂入り。右投右打。92年5月28日に死去。

 ◆村山実(むらやま・みのる)1936年12月10日、兵庫県生まれ。59年に関西大から阪神入団。1年目から18勝、防御率1位、沢村賞の働きでエースに。巨人・長嶋、王と名勝負を繰り広げ、59年6月25日の天覧試合(後楽園)で長嶋にサヨナラ本塁打を打たれたシーンは語り草に。70年から監督兼選手、72年に引退し監督退任。88、89年は監督。現役通算成績は509試合で222勝147敗、防御率2・09。背番号11は永久欠番。93年に殿堂入り。右投右打。98年8月22日に死去。

 ◆藤村兼任監督の排斥運動 1956年、阪神・藤村兼任監督の選手起用などに不満を募らせていたナインが、フロントに更迭を迫る非常事態に発展した。当時のチームが藤村派をはじめ、4つの派閥に分裂するなどバラバラだったことが背景。一時は球団側が主力選手の解雇をちらつかせ、選手側も球団に自分たちの解雇を要求するなど泥仕合となったが、藤村監督が当時主将だった金田正泰に謝罪し、翌年は監督専任となることで決着をみた。

【2009/1/5 スポーツ報知大阪】
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