【2月7日】1999年(平11) 

 眼鏡の奥からの鋭い眼光が一点を見つめたまま止まった。ブルペン捕手の後ろにどっかりと座った、阪神・野村克也監督が左腕投手の投げた5球を見てうなった。「いい球投げているのぉ」。左腕が繰り出した右打者の懐をえぐるストレートが“バシーン!”という音を立ててキャッチャーミットに収まった。

 野村監督の約20メートル先から快速球を投げ込んでいたのは、背番号29、2年目の井川慶投手。茨城・水戸商高時代から“西のドクターK”京都・平安高、川口知哉投手(オリックス)に対し、東のそれと呼ばれていたが、腰の痛みと左足甲の骨折でルーキーイヤーの98年はファームでわずか1勝。試練を迎えていた左腕を新指揮官は食い入るように見た。

 監督が「いい球や」を連発するので、番記者が尋ねた。「江夏2世ですか?」。阪神の伝説のサウスポー、背番号は井川と1番違いの28に引けをとらない、という発言を期待したが、そこはノムさん冷静にひと言「それは言い過ぎや。江夏が怒るで。スピードもコントロールもない」。そしてこう続けた。「江夏には及ばんが、石井(一久)2世ならいい」。

 南海時代に監督兼捕手として江夏の球を受け、ヤクルト監督として石井を育ててきた野村監督は、その違いがはっきり分かっていた。ストレートの速さ、制球力の点では江夏が段違いで上。後年“優勝請負人”と呼ばれた左腕の域には達していないが、「変化球では石井よりこっちが断然いい。チャンジアップが使える。度胸も石井よりええな。監督が真後ろで見ていたら普通実績のない投手はビビるのにそれがない。淡々とマイペース。オープン戦の最初に使うか」。

 若い投手をのぼせ上がらせず、適度な自信を持たせる上でのリップサービスの意味合いもあったが、98年に最多勝、241個もの三振を奪いタイトルを獲得した石井の2年目よりも、目の前の左腕の方に高評価を与えた。

 井川への分析はさらに続く。野村監督が「使える」と評したチェンジアップは、真っ直ぐとのスピード差20キロ前後。腕の振りがゆるまず、ストレートと同じ振りでくるから厄介だった。「高校出の投手は普通球が速くて、コントロールがダメというパターンだが、井川は逆。それが面白い。19や20歳で抜くことができる。これは才能。教えてなかなかできるもんじゃない」と絶賛した。

 野村監督は“約束”通り、オープン戦開幕となった2月28日の対西武戦で井川を先発で起用。3回を2安打2三振と上々の出来だった。この日は西武の黄金ルーキー、松坂大輔投手が先発。その話題性から井川の好投は取り上げられなかったが、その後井川はオープン戦23回連続無失点を記録。開幕1軍入りを果たし、5月19日の広島8回戦(米子)で先発し、プロ初勝利を挙げた。

 井川が真のエースになったのは、野村監督から星野仙一監督に代わった02年から。14勝9敗と初の2ケタ勝利、リーグ最多の4完封奪三振王(206個)のタイトルを奪取。迎えた03年に20勝5敗、防御率2・80で最多勝も防御率1位も沢村賞も、そしてMVPにも選ばれ、阪神18年ぶりのリーグ優勝の原動力となった。

 舞台を移した海の向こうでは憧れのヤンキース入りを果たしたものの、課題だった制球力に苦しみ抜け出せないでいる。元ヤンキース指揮官のドジャース・トーリ監督には著書「ザ・ヤンキー・イヤーズ」で「最悪だった。ストライクは25球中3球ほどで、捕るのに動き回らなきゃならない」」とも書かれた。09年はメジャー挑戦3年目。元ボスを見返すためにもどうしても結果を残したい。


【2009/2/7 スポニチ】
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