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【2月26日】1993年(平5)
【中日16-6オリックス】この“タメ”がつくれたからこそ、打球がいとも簡単に場外に消えた。93年のオープン戦が始まったこの日、沖縄・糸満で中日の4番・大豊泰昭左翼手が前年秋から本格的に取り組んできた一本足打法で結果を出した。
会心の当たりが飛び出したのは4回。右足を静かに自然に上げ、形を作るとそのまま静止。一方のオリックス・酒井勉投手は、タイミングをずらそうと、ゆったりとしたフォームからチェンジアップを投げた。
我慢、さらに我慢。フォームが崩れては全く意味をなさない一本足打法。ギリギリまでタメて、鋭いスイングで一気に振り抜いた。すると、打球はあっという間に右翼場外へ。“師匠”王貞治元巨人監督の再来を思わせる完璧な本塁打だった。
入団5年目。14、20、26と年を追うごとに着実にホームランの数を増やしていったが、4年目の92年は11本と最低の数字に。右太ももの肉離れでキャンプも満足に送れなかったというアクシデントもあったが、セ各球団の投手が大豊を研究。タイミングを外すと脆い一面があることを見破られ、ストレートを見せ球にして落ちる球で打ち取られるようになった。
悩んだ大豊は92年オフに秋季キャンプで臨時コーチとして訪れた、日本球界初の3000本安打打者・張本勲氏に相談。張本氏の広角打法を学ぼうとしたが、張本氏は自身のバッティングに加え「天性のパワーをさらに爆発させるには一本足打法しかない」という助言を与え、大豊はこれに取り組みを始めた。
本家本元の王元監督が中日のスプリングキャンプに姿を見せたのは93年。場外アーチの6日前のことだった。テレビの仕事で来ていた“世界の王”だが、臨時コーチを快諾。一本足打法の極意を伝えた。
「一本足で打っているという感覚があるうちはダメ。一本足で立っていることが普通にならなければ。一本足を特殊な打法と思うのは違う」「足を下ろしてから打つという意識があると、打球が詰まる。下ろすというよりも、上げた足が自然に下りるという感覚が大事」「一本足を意識しないためにはバットを軽く握ること。傘を持って立っているような感じで。軽く握ってスイングスピードは速く」。
言葉はどれも感覚的だったが、要は一本足で打つというより、一本足の姿勢で待つことによって悪癖を直すのが最大の目的。打つときに体が突っ込み、前の肩が上がるクセを一本足で待つことによって自然にバットが出るようにするということを王元監督は伝えたかったのである。
このアドバイスが大豊にはてき面だった。力まず軽くのアドバイスによって「ぎこちなさが消えた。しなり、柔らかさが出てきた」と自信を持った。
オープン戦初戦で結果が出たことが励みとなり、93年は25本塁打と復調。さらに技術に磨きをかけ、大豊が開眼したのは94年。38本塁打、107打点で2冠王を達成。これまで何人もの選手が「王さんのようになりたい」とこの打法に取り組んできたが、タイトルを獲得したのは王以外では初めての快挙だった。
15歳の時、大豊が「1週間分の小遣いをはたいて買った」という、王の756号本塁打世界新記録の偉業をたたえる本。何度も何度も繰り返し読み、最後はページがバラバラになってしまうほど愛読した。「王さんの存在なくして僕の人生は語れません」という大豊は14年の現役生活で277本塁打を記録。引退後は名古屋で中華料理店を開くなど、多方面で活躍している。
【2009/2/26 スポニチ】
【中日16-6オリックス】この“タメ”がつくれたからこそ、打球がいとも簡単に場外に消えた。93年のオープン戦が始まったこの日、沖縄・糸満で中日の4番・大豊泰昭左翼手が前年秋から本格的に取り組んできた一本足打法で結果を出した。
会心の当たりが飛び出したのは4回。右足を静かに自然に上げ、形を作るとそのまま静止。一方のオリックス・酒井勉投手は、タイミングをずらそうと、ゆったりとしたフォームからチェンジアップを投げた。
我慢、さらに我慢。フォームが崩れては全く意味をなさない一本足打法。ギリギリまでタメて、鋭いスイングで一気に振り抜いた。すると、打球はあっという間に右翼場外へ。“師匠”王貞治元巨人監督の再来を思わせる完璧な本塁打だった。
入団5年目。14、20、26と年を追うごとに着実にホームランの数を増やしていったが、4年目の92年は11本と最低の数字に。右太ももの肉離れでキャンプも満足に送れなかったというアクシデントもあったが、セ各球団の投手が大豊を研究。タイミングを外すと脆い一面があることを見破られ、ストレートを見せ球にして落ちる球で打ち取られるようになった。
悩んだ大豊は92年オフに秋季キャンプで臨時コーチとして訪れた、日本球界初の3000本安打打者・張本勲氏に相談。張本氏の広角打法を学ぼうとしたが、張本氏は自身のバッティングに加え「天性のパワーをさらに爆発させるには一本足打法しかない」という助言を与え、大豊はこれに取り組みを始めた。
本家本元の王元監督が中日のスプリングキャンプに姿を見せたのは93年。場外アーチの6日前のことだった。テレビの仕事で来ていた“世界の王”だが、臨時コーチを快諾。一本足打法の極意を伝えた。
「一本足で打っているという感覚があるうちはダメ。一本足で立っていることが普通にならなければ。一本足を特殊な打法と思うのは違う」「足を下ろしてから打つという意識があると、打球が詰まる。下ろすというよりも、上げた足が自然に下りるという感覚が大事」「一本足を意識しないためにはバットを軽く握ること。傘を持って立っているような感じで。軽く握ってスイングスピードは速く」。
言葉はどれも感覚的だったが、要は一本足で打つというより、一本足の姿勢で待つことによって悪癖を直すのが最大の目的。打つときに体が突っ込み、前の肩が上がるクセを一本足で待つことによって自然にバットが出るようにするということを王元監督は伝えたかったのである。
このアドバイスが大豊にはてき面だった。力まず軽くのアドバイスによって「ぎこちなさが消えた。しなり、柔らかさが出てきた」と自信を持った。
オープン戦初戦で結果が出たことが励みとなり、93年は25本塁打と復調。さらに技術に磨きをかけ、大豊が開眼したのは94年。38本塁打、107打点で2冠王を達成。これまで何人もの選手が「王さんのようになりたい」とこの打法に取り組んできたが、タイトルを獲得したのは王以外では初めての快挙だった。
15歳の時、大豊が「1週間分の小遣いをはたいて買った」という、王の756号本塁打世界新記録の偉業をたたえる本。何度も何度も繰り返し読み、最後はページがバラバラになってしまうほど愛読した。「王さんの存在なくして僕の人生は語れません」という大豊は14年の現役生活で277本塁打を記録。引退後は名古屋で中華料理店を開くなど、多方面で活躍している。
【2009/2/26 スポニチ】
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