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テニスのAIGジャパンオープン(2~8日、東京・有明コロシアムなど)に出場するため初来日した男子のナンバーワンプレーヤー、ロジャー・フェデラー(25)が1日、東京都内で毎日新聞と単独会見した。今季4大大会は全仏を除く3大会を制覇し、圧倒的な強さを改めて示した。夢は、意外なようだが「08年北京五輪の金メダル。そして、12年ロンドン五輪でのプレー」と語った。【村田隆和】
4大大会男子シングルス優勝数を歴代6位の9(1位はピート・サンプラスの14回)に伸ばし、シングルス13大会中8大会で優勝した今季。「全仏は負けたが、初めて決勝に進んだし、素晴らしいシーズン。自分でも驚くほどの」。そう振り返った。
冷静な試合運びと無駄のないプレー。劣勢になっても、決してあきらめない気持ち。それは十代後半に行ったメンタルトレーニングのおかげだという。「あのころは精神的にも浮き沈みが激しく、自分をコントロールし切れなかった」。だが、どんな状況でも自身の力を100%出す術を身につけた。普段の練習も同じだ。「ベースラインのプレーであれ、リターンであれ、世界のトップ・レベルに達した今、小さな違いが勝負を分ける」。だから、常にあらゆる状況を想定しながら練習に取り組む。
五輪にも興味がある。目指すのは北京五輪の金だ。「プロもアマも参加する五輪には温かな雰囲気がある」。00年シドニー五輪は準決勝で、04年アテネ五輪は2回戦で敗れた。「北京では金を狙う。可能ならロンドン五輪にも出たい。テニスはウィンブルドンで開かれると聞く。そこで31歳の誕生日を迎えたらうれしいね」
人生における目標は? そう問うと、身を乗り出した。「社会で弱い立場に置かれている子どもたちの援助を続けたい」。03年には自身の名を冠にした基金を設立。今年4月には国連児童基金(ユニセフ)の親善大使にも就任した。「母が南アフリカという貧しい大陸の出身でもあり、そういう地域の子どもに少しでもチャンスを与えたい」。テニスで勝ち続けることには、自身の栄誉のほかに、そんな目標もあるのだ。
▽ロジャー・フェデラー 81年、スイス生まれ。8歳からテニスを始める。98年プロ転向。01年ウィンブルドンでサンプラスの連勝を止め、脚光を浴びる。03年同大会で4大大会初制覇。ウィンブルドン4連覇、全米オープン3連覇中。ATPランキングは04年2月から1位。右利き。185センチ、80キロ。
【2006/10/2 毎日新聞】
4大大会男子シングルス優勝数を歴代6位の9(1位はピート・サンプラスの14回)に伸ばし、シングルス13大会中8大会で優勝した今季。「全仏は負けたが、初めて決勝に進んだし、素晴らしいシーズン。自分でも驚くほどの」。そう振り返った。
冷静な試合運びと無駄のないプレー。劣勢になっても、決してあきらめない気持ち。それは十代後半に行ったメンタルトレーニングのおかげだという。「あのころは精神的にも浮き沈みが激しく、自分をコントロールし切れなかった」。だが、どんな状況でも自身の力を100%出す術を身につけた。普段の練習も同じだ。「ベースラインのプレーであれ、リターンであれ、世界のトップ・レベルに達した今、小さな違いが勝負を分ける」。だから、常にあらゆる状況を想定しながら練習に取り組む。
五輪にも興味がある。目指すのは北京五輪の金だ。「プロもアマも参加する五輪には温かな雰囲気がある」。00年シドニー五輪は準決勝で、04年アテネ五輪は2回戦で敗れた。「北京では金を狙う。可能ならロンドン五輪にも出たい。テニスはウィンブルドンで開かれると聞く。そこで31歳の誕生日を迎えたらうれしいね」
人生における目標は? そう問うと、身を乗り出した。「社会で弱い立場に置かれている子どもたちの援助を続けたい」。03年には自身の名を冠にした基金を設立。今年4月には国連児童基金(ユニセフ)の親善大使にも就任した。「母が南アフリカという貧しい大陸の出身でもあり、そういう地域の子どもに少しでもチャンスを与えたい」。テニスで勝ち続けることには、自身の栄誉のほかに、そんな目標もあるのだ。
▽ロジャー・フェデラー 81年、スイス生まれ。8歳からテニスを始める。98年プロ転向。01年ウィンブルドンでサンプラスの連勝を止め、脚光を浴びる。03年同大会で4大大会初制覇。ウィンブルドン4連覇、全米オープン3連覇中。ATPランキングは04年2月から1位。右利き。185センチ、80キロ。
【2006/10/2 毎日新聞】
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