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【6月4日】2005年(平17) 

 【中日7-0日本ハム】中日一筋18年目、立浪和義左翼手“らしい”メモリアルヒットだった。交流戦の日本ハム5回戦(ナゴヤドーム)の初回、日本ハム・正田樹投手の138キロの外角直球を逆らわずに三遊間へ。狙いすましたように誰もいないところに打った技ありのヒットだった。

 一塁ベース上で花束を渡された立浪は、ドームの四方八方から送られる拍手と声援に何度も頭を下げた。この通算2275安打こそ、立浪と同じく、ドラゴンズ一筋で現役を全うした高木守道内野手が21年かかって積み重ねた通算2274本を抜く、中日球団史上最高の1本だった。

 大阪・PL学園高から入団したルーキーイヤーの88年。弱冠18歳で球団史上初の高卒ルーキー開幕スタメンに名を連ね、大洋・欠端光則投手から放った二塁打がその1歩目。「長くやっていればこそできた記録。みんなに感謝したい」と35歳になったベテランが表情を崩した。この日立浪は3番に座り、3打数3安打1打点。通算安打数を2277まで伸ばした。

 セパ交流戦元年のこの年、同じ日本ハム戦で立浪は別の記録も打ち立てている。5月19日、札幌ドームの3回戦で金村暁投手から二塁打を放ち、通算450二塁打となった。阪急・福本豊外野手の449本を上回る、球団記録を超えた日本記録を達成した。「初安打も二塁打だった。何かと縁があるな」と立浪。球団初の1000四球を選んだのも同じ05年。巨人、阪神に負けない伝統を誇る中日で多くのスラッガーが輩出されたが、立浪がその頂点に事実上立った1年だった。

 球団記録の安打数を塗り替えた際、記録保持者だった高木は賛辞とともに、こう激励した。「2500本までは目指してほしい。技術的には問題ないのだから、これからは気持ちと体が大事。しぶとく、しつこいバッターでいてほしい」。

 その2500本まであと34本(09年6月4日現在)。引退を宣言して臨んだ09年は開幕から2カ月で7安打を記録。打率は3割5分とかなりの代打成功率だ。

 しかし、このペースで行くと代打のひと振り稼業に徹している22年目のベテランにとって、節目の2500本はわずかに手が届かず…という可能性が高い。それでも立浪は記録に固執することは全くない。「2500安打より目の前の打席に集中したい。あくまでも結果にこだわりたい。打席を楽しんでいる余裕はない」。

 2500本は難しいかもしれないが、巨人・長嶋茂雄三塁手が残した2471本にはあと5本に迫っている。同じ背番号3の立浪が、ミスタープロ野球を上回り、歴代7位の安打数を記録する日は決して遠くないようだ。


【2009/6/4 スポニチ】
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