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【6月12日】2004年(平16)
【近鉄7-2日本ハム】8安打で失策絡みの2失点も自責点は0。2試合ほど遠回りをしたが、2週間ぶりの勝利は危なげがなかった。
「この時期の2ケタ勝利は開幕前に想像できなかった。でも、まだ先がありますから」。開幕から無傷の10連勝をマークした近鉄・岩隈久志投手は、13年ぶり4人目の球団タイ記録となる白星街道にもおごることなく、さらに先を見据えた言葉でお立ち台に立った。
ビジターで6勝、防御率は2・84の数字も立派だが、地元大阪ドームでは4戦4勝の同0・84は驚異的。岩隈が投げると不思議と打線も援護射撃があり、大阪ドームでの平均得点は7・5点もあった。
「そんなに調子は良くなかった」と岩隈。ストレートが走らないことを自覚していたようで、前半はフォーク、後半はスライダーをウイニングショットにして、前年から9連勝と相性のいい日本ハム打線を翻弄。「すごいね。負ける気がしないよね。記録が抜かれる?記録は抜かれるためにあるもの。どこまで伸ばせるか楽しみだし、伸ばせるようにサポートするのが僕の仕事」とは、13年前に岩隈と同じ立場だった記録保持者の小野和義投手コーチ。記録更新を岩隈以上に心待ちにした。
盛り上がる近鉄ナインが腰を抜かすほど驚いた知らせが届いたのは、岩隈のタイ記録から一夜明けた13日だった。球団の親会社近畿日本鉄道の山口昌紀社長と小林哲也球団社長が大阪市内のホテルで会見を行い「近鉄とオリックスを合併させることで合意した」と発表した。
「鉄道という公益事業に携わる以上、回収の見込みのない経営資源を野球に続けて投入していくのは会社の性格上、無理だと長年考えてきた」と山口社長。観客数の減少にもかかわらず高騰する選手の年俸と高額な大阪ドーム使用料は、年間40億円の赤字を抱える近鉄球団の経営を圧迫していた。身売りのうわさは絶えなかったが、まさか半世紀にわたって関西でライバルとしてしのぎを削ってきたチームと合併するとは想像だにできなかった。
球界の構図を根本から変える1リーグ再編問題が浮上する中、それでも近鉄ナインは戦い続けなければならなかった。合併発表の夜の日本ハム13回戦にサヨナラ勝ちを収めたチームの気迫に、普段は闘志を表に出さない岩隈も内心燃えていた。
20日、合併相手のオリックス14回戦に登板。途中親指の爪で中指の内側を切ってしまうというアクシデントに見舞われながら、6回まで投げ2失点で11連勝。近鉄は消滅しようとも、まず破られることのない不滅の球団連勝新記録を樹立した。
合併を解消させるためには、優勝してこの流れを変えるしかない。そう誓ったエースは1つも負けるわけにはいかなかった。7月6日の日本ハム14回戦で12連勝。「これからも勝ち続けたい。できれば20勝するまで」。岩隈は本気で答えた。
しかし、球宴後の7月20日のロッテ18回戦、あれだけ相性の良かった大阪ドームで7回6点を失った。「打たれてはいけないところで打たれた」という岩隈に開幕から16試合目で初めて黒星がついた。
アテネ五輪に出場したこともあり、結局20勝には届かず15勝(2敗)止まり。最多勝、最優秀投手のタイトルを獲得し、消滅する近鉄の最後の意地をみせた。
岩隈が念願の20勝に到達したのは、近鉄がなくなって4年後の08年。楽天のエースとしてあの12連勝の時以来の2ケタ勝利だった。
【2009/6/12 スポニチ】
【近鉄7-2日本ハム】8安打で失策絡みの2失点も自責点は0。2試合ほど遠回りをしたが、2週間ぶりの勝利は危なげがなかった。
「この時期の2ケタ勝利は開幕前に想像できなかった。でも、まだ先がありますから」。開幕から無傷の10連勝をマークした近鉄・岩隈久志投手は、13年ぶり4人目の球団タイ記録となる白星街道にもおごることなく、さらに先を見据えた言葉でお立ち台に立った。
ビジターで6勝、防御率は2・84の数字も立派だが、地元大阪ドームでは4戦4勝の同0・84は驚異的。岩隈が投げると不思議と打線も援護射撃があり、大阪ドームでの平均得点は7・5点もあった。
「そんなに調子は良くなかった」と岩隈。ストレートが走らないことを自覚していたようで、前半はフォーク、後半はスライダーをウイニングショットにして、前年から9連勝と相性のいい日本ハム打線を翻弄。「すごいね。負ける気がしないよね。記録が抜かれる?記録は抜かれるためにあるもの。どこまで伸ばせるか楽しみだし、伸ばせるようにサポートするのが僕の仕事」とは、13年前に岩隈と同じ立場だった記録保持者の小野和義投手コーチ。記録更新を岩隈以上に心待ちにした。
盛り上がる近鉄ナインが腰を抜かすほど驚いた知らせが届いたのは、岩隈のタイ記録から一夜明けた13日だった。球団の親会社近畿日本鉄道の山口昌紀社長と小林哲也球団社長が大阪市内のホテルで会見を行い「近鉄とオリックスを合併させることで合意した」と発表した。
「鉄道という公益事業に携わる以上、回収の見込みのない経営資源を野球に続けて投入していくのは会社の性格上、無理だと長年考えてきた」と山口社長。観客数の減少にもかかわらず高騰する選手の年俸と高額な大阪ドーム使用料は、年間40億円の赤字を抱える近鉄球団の経営を圧迫していた。身売りのうわさは絶えなかったが、まさか半世紀にわたって関西でライバルとしてしのぎを削ってきたチームと合併するとは想像だにできなかった。
球界の構図を根本から変える1リーグ再編問題が浮上する中、それでも近鉄ナインは戦い続けなければならなかった。合併発表の夜の日本ハム13回戦にサヨナラ勝ちを収めたチームの気迫に、普段は闘志を表に出さない岩隈も内心燃えていた。
20日、合併相手のオリックス14回戦に登板。途中親指の爪で中指の内側を切ってしまうというアクシデントに見舞われながら、6回まで投げ2失点で11連勝。近鉄は消滅しようとも、まず破られることのない不滅の球団連勝新記録を樹立した。
合併を解消させるためには、優勝してこの流れを変えるしかない。そう誓ったエースは1つも負けるわけにはいかなかった。7月6日の日本ハム14回戦で12連勝。「これからも勝ち続けたい。できれば20勝するまで」。岩隈は本気で答えた。
しかし、球宴後の7月20日のロッテ18回戦、あれだけ相性の良かった大阪ドームで7回6点を失った。「打たれてはいけないところで打たれた」という岩隈に開幕から16試合目で初めて黒星がついた。
アテネ五輪に出場したこともあり、結局20勝には届かず15勝(2敗)止まり。最多勝、最優秀投手のタイトルを獲得し、消滅する近鉄の最後の意地をみせた。
岩隈が念願の20勝に到達したのは、近鉄がなくなって4年後の08年。楽天のエースとしてあの12連勝の時以来の2ケタ勝利だった。
【2009/6/12 スポニチ】
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