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【6月12日】1999年(平11) 

 【阪神5―4巨人】三遊間を狙っていた。「ショートがセカンド(ベース近く)についていたので、転がせばいけると確信していた」。左足を大きく踏み込みフルスイング。打球は三遊間をきれいに抜けていった。三塁走者の阪神・坪井智哉右翼手が手をたたきながら生還した。

 甲子園での阪神―巨人12回戦は延長12回、新庄剛志中堅手のサヨナラ安打で阪神が勝利を収め、首位陥落の危機を逃れた。殊勲の新庄だが、打った球は巨人バッテリーが敬遠をするために外したボール。大きく外さず、踏み込めばバットが届く位置に投げてしまったことが巨人にとっては致命傷になってしまった。

 「1球目はわざとホームベースから離れて立った。2球目はバッターボックスの線ギリギリに気付かれないようにさりげなく立った。1球目が低めの敬遠球で、“これはオイシイ”と…。次も同じようなところが来たら行こうと思っていた」と新庄。一塁側ベンチの柏原純一打撃コーチと目と目が合うと、「合図が出ていた」(新庄)ので、躊躇なく強振。1球目より高い、ベルト付近の“絶好球”というのも阪神にとっては幸運だった。

 甲子園の阪神ファンの興奮は最高潮に達し、阪神ナインもベンチから全員飛び出し、殊勲の新庄を取り囲み祝福の嵐。それとは対照的に三塁側から原辰徳野手総合コーチが血相を変えて走ってきた。「何だよ審判!足が出ていただろ!」。田中俊幸球審に詰め寄ると、巨人の内野陣も次々とホームプレート付近に集まってきた。

 新庄の足がバッターボックスから出ていれば、「打者が片足または両足を完全にバッターボックスの外に置いて打った場合」はアウトになるという野球規則六・〇六の(a)に従い、サヨナラ打は無効になる。田中球審は「かなり踏み込んではいたが、左足のかかとは残っていた」と説明。それでも巨人側の抗議を聞き入れなかった。

 やや距離を置いて原コーチらの様子を見守っていた長嶋茂雄監督はマスクをかぶっていた光山英和捕手に確認した。「足は出ていないようでした。ギリギリラインの上だと思います」と光山。投げた槙原寛己投手は「足出てたよ!絶対に」と声を荒げたが、沸き立つ阪神ファンの大声援にかき消され、その声はむなしかった。

 ところで敬遠球を打ったのは、その場の思いつきだったのか。3日前の広島10回戦(大阪ドーム)の7回、敬遠された新庄は試合後に柏原コーチに相談した。「敬遠の球を打ってもいいんですか?」。返ってきた答えは想像を超えたものだった。「俺なんか敬遠のボールをホームランにしたことがあるぞ」。

 81年7月19日、日本ハム―西武3回戦(平和台)の6回2死三塁で日本ハムの4番を打っていた柏原は永射保投手の3球目、外角高めに外したボールを踏み込んで打ち、左中間スタンドへ放り込んでいた。

 この言葉にいたく感動した新庄。翌日からフりー打撃の際に“悪球”打ちに挑戦。周到な用意をした上でのサヨナラ安打だった。

【2011/6/12 スポニチ】
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