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【6月12日】1993年(平5) 

【近鉄5-3オリックス】「点差が点差でしたからね。でも野茂さんから打ててよかった」。新聞の行数にしてわずか2行とちょっと。オリックス2年目外野手のプロ入り初本塁打の扱いはこんなものだった。8回、5安打10奪三振で完封ペースの近鉄・野茂英雄投手から右翼フェンスをギリギリで越えるアーチ。改修前で当時は決して広いとはいえなかった、新潟・長岡悠久山球場での推定飛距離100メートルの一発だった。

 野茂のシャトアウトを阻止する一撃を放ったのは、鈴木一朗外野手。今や知らない人は誰もいない、大リーグ、シアトル・マリナーズのイチローである。この日、スタメンで1番に入ったイチローは野茂から本塁打を含む2安打を放った。前年のジュニアオールスター戦で、代打決勝ソロ本塁打を放ち、MVPを獲得し、賞金100万円を手にした男だが、一般的な野球ファンにはまだまだ無名の存在。しかし、記念すべき1号本塁打を本格的な日本人メジャーのパイオニアから打つあたりは、さすがに運を持っているといえる。ちなみに通算100号は幾多の名勝負を国内外で演じている西武、レッドソックスの松坂大輔投手から放っている。

 翌94年、鈴木一朗はオープン戦で打率3割4分5厘、2本塁打16打点で「花のパリーグ大賞」というMVPに匹敵する表彰を受けると、仰木彬新監督は、この21歳になる俊足巧打の選手を売り出すべく、「イチロー」と登録名を変えることを提案。「何かヘンな感じですね」と乗り気でない本人の意向などお構いなしに連盟に変更届を提出してしまった。

 その後のイチローの活躍は周知のとおり。野茂は95年に大リーグ、ドジャースに入団したため、2人のプロ野球での対戦は2年間で13打数4安打、打率3割4厘。本塁打は記念すべきプロ入り1号の1本だけだった。

 初本塁打から8年。野茂とイチローは舞台をメジャーリーグに移して、再度顔を合わせた。01年5月2日、レッドソックスに移籍していた野茂は、メジャー1年目のイチローを二ゴロ、中飛に打ち取った。5回に迎えた第3打席。カウント1-1からの145キロのストレートが、イチローの背中を直撃した。大リーグ127打席目にして初めての死球は、なんと日本人投手、しかも野茂から食らった。初本塁打、初死球と2度の大当たりのイチローは「まさかはじめてのデッドボールが日本人からなんて。ドスンと背中に響いた」。この日は95年に野茂がメジャー初登板をしたメモリアルデーだったが、これをきっかけに試合は動き、野茂は敗戦投手になった。

 野茂とイチローの“最後の”対戦は08年4月15日、ロイヤルズに籍を置いた野茂はイチローと3年ぶりに対決。カウント2-2から伝家の宝刀、フォークで空振り三振に仕留めた。しかし、野茂が輝きを放ったのはこの一瞬だけ。1回3分の1を4失点で、その後ロ軍を解雇された。

 日米通算3000本安打を目指すイチローと現役続行の道を模索する野茂。日本を代表するプレーヤーの“いま”は対極の位置にある。

【2008/6/12 スポニチ】
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