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【5月16日】1999年(平11) 

【西武2-0オリックス】日本で最も三振しない男、オリックス・イチロー外野手が1試合で3三振、しかも弱冠18歳の“小僧”1人にやられた。

 それでも背番号51は嬉しかった。「真っ直ぐがあれだけ速くて、変化球も素晴らしい。楽しみができました」。向かうところ敵なしの安打製造機に正面からぶつかってきたのは、スーパールーキー・松坂大輔投手。まともに勝負してこない投手ばかりで、マンネリを感じていたイチローの血を騒がせる“小僧”が久々に現れた。

 何の邪魔も入らない初顔合わせだった。初回二死走者なし。初球インコース低め149キロの直球はボール。2球目は内角高め。153キロと球速を増したストレートをイチローは強振したが、ファウル。スライダーを外角に2球続けて投げ、カウントは2-2となった。

 決め球は真っ向勝負のストレートかそれとも自慢の高速スライダーか…。受ける中島聡捕手のリードは強気だった。5球目は151キロの直球。さすがイチロー、ファウルにして打てる球を待った。

 6球目。ストレートが始めてアウトサイドにきた。前の3球より球速は一番遅い147キロだったが、ややボール気味のコースに加え、内角を予測していたような腰が引けたスイングとなり、イチローのバットは空を切った。空振り三振。軍配は松坂に上がった。

 「プロに入った時からずっと対戦したかったのがイチローさん。出来る限りのピッチングをしようと思った。すごくうれしい」。あどけなさの残る顔に笑みが浮かんだ。

 勝負は続く。3回二死二、三塁。一打逆転のケースでの2度目の対戦はフルカウントまでいった。3球目以外はすべてスライダー。ストレートで打ちとるための伏線とみていたのか、イチローは6球目の外角低めのスライダーに反応できなかった。屈辱の2打席連続三振。バットをかかえながら松坂をにらむイチローとは対照的に、松坂はウイニングショットで三振を奪い、マウンド上で小さくガッツボーズをつくった。

 6回の第3打席は先頭打者。一転してストレートを5球続けカウントは2-2。6球目のみ135キロのスライダーがきた。3球ファウルにしていたイチローのバットはかすりもせずにクルリと回った。

 イチローが事実上デビューした94年の近鉄25回戦(9月27日、神戸)で高村祐、赤堀元之両投手に4連続三振をやられて以来の屈辱。「胸のマークがなかなか見えてこない。後半になっても球速が落ちない。基礎体力がすごいね」。

 97年に216打席連続無三振の日本記録を打ち立てたプライドをズタズタにした新人投手は、体が投げる瞬間まで開かず、球の出所が分からないことで天才打者をしてもこの日は全くお手上げだった。松坂は結局8回を投げ、自己最多の13奪三振をマーク。疲労から登録抹消された後の、中12日の登板は完璧な投球だった。

 「でも徐々にイメージができてきた」。西武ドームを後にするイチローはこんな言葉を残していった。6月23日の対戦では3打数1安打で犠飛が1本。三振はなかった。そして場所を神戸に移しての3度目の対決。完封目前の松坂を打ち砕いたのは、イチローの15号ソロ本塁打だった。

 カウント0-1からスライダーを弾き返した打球は、センターバックスクリーンの左に消え去った。イチローにとってこれが通算100号本塁打。「ホームランは前の打席から狙っていた。100号は松坂君から打った方がみなさんに喜んでいただけると思ってね」と、普段無愛想な男が妙にハイテンションだった。

 「(100号本塁打)おめでとうございます。もう勝負できる球ではありませんでした」。イチローに打たれた松坂は7勝目にも嬉しそうな表情は全く見せず、完投さえもできなかったことでヒーローインタビューも拒否した。

 01年、イチローは新たなステージとしてメジャーリーグを選び、2人のプロ野球での対決は2年間で34打数8安打、打率2割2分2厘で途絶えた。07年、松坂も大リーグ入りして名勝負は海の向こうで復活。新たな伝説がまた生まれる予感がする。

【2008/5/16 スポニチ】
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