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【7月20日】1986年(昭61) 

 【全パ4-3全セ】このスーパールーキーに失投は許されない。大洋・遠藤一彦投手の初球、チェンジアップがシュート回転して真ん中に入った。

 何も考えず、来た球をバットの芯でとらえた打球は高々と左翼へ舞い上がった。ポール際。飛距離は十分だったが、フェアかファウルか際どい当たりだった。「切れんでくれぇ」とつぶやきながら、走り出した新人の願いが届いたかのように、井野修線審は右手をグルグルと回した。

 2万8188人のどよめきが歓声に変わった。その中を一人だけ悠々とベースを一周することを許されたのは、西武の清原和博一塁手。もちろん球宴初出場。3打席目、これが初安打だった。

 しかも、同点という肩書き付きの本塁打。「いい球が来たら、初球から振っていくつもりでした」と清原。確かにコントロールミスをしたボールだった。だからこそ“来たッ”とばかり食いついて、体が突っ込んで凡フライになったり、打ち損じてしまったりするものだが、そこが10年に1度のスラッガーは違う。タイミングがやや早かったものの、自分のスイングをしてスタンドに運んだ。

 遠藤は失投とは言わなかった。「あれを打ったんだからすごいよ」。チェンジアップは、最後に伝家の宝刀フォークボールで打ち取るための配球として選んだ入り方だった。それが打ちごろのボールになってしまったが、83、84年の最多勝投手。プライドがあった。「打った清原がすごかった」と言って遠藤は言い訳をしなかった。

 初球から行く、と決めていたのは理由があった。4回の打席で清原は憧れの巨人・江川卓投手と対戦。3球三振に仕留められていた。カウント2-0と追い込まれて余裕をなくし、3球目に139キロのそれほど速くないストレートで空振りを取られた。

 「ええ投手は追い込まれたらアカン。初球からや」。まだ18歳の少年は悟った。その直後のオールスター1号アーチだった。

 過去ルーキーが球宴で本塁打を放ったケースは、69年の田淵幸一捕手、80年の岡田彰布内野手といずれも阪神、大学出の選手2人しかおらず、清原はパ初、高卒の選手としても初めての快挙を成し遂げた。

 試合は延長11回、西武・秋山幸二中堅手の三ゴロを巨人・原辰徳三塁手が暴投して、これも球宴初のサヨナラ悪送球で決着が付いた。MVPに選ばれたのは、試合を振り出し戻し、一撃で結果的に勝利への道を作った清原だった。

 07年の引退まで、出場18回でMVPは球宴史上最多の7度、打率3割6分5厘、13本塁打、34打点。本塁打は広島・山本浩二外野手の14本に次いで2位、打点は1位。公式戦では無冠だった男も、お祭りでは主演男優だった。 


【2009/7/20 スポニチ】
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