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【11月16日】1980年(昭55) 


 【阪神18-6巨人】引退する選手とは思えない、弾丸ライナーが右翼席中段に突き刺さった。現役を退き、助監督に就任することになった巨人・王貞治一塁手が、熊本藤崎台球場での阪神とのオープン戦の第3打席に本塁打を放った。カウント1-2から、宮田典計投手の内角高めのストレートをとらえた一発だった。

 公式戦での本塁打は868本。これに春秋のオープン戦98本、日本シリーズ29本、オールスター13本、日米野球23本、東西対抗の1本を加えると計1032本塁打。予定の2打席を過ぎても、あと1打席だけ“ファンサービス”のつもりで立った現役最後のバッターボックスで、最高のフィナーレを2万6000人の観衆の目に焼き付けた。

 一塁へゆっくり走り出した王はヘルメットを脱いだ。そして阪神の竹之内雅史一塁手とがっちり握手。続いて王と入れ替わるようにしてタイガースに入団した、ルーキーの岡田彰布二塁手、さらに真弓明信遊撃手と、ベースを一周しながら阪神内野手の手を次々と握り締めた。

 最後にホームへ。待ちうけていたのは巨人ナインだけではなかった。阪神ナインも総出でお出迎え。中西太監督から大きな花束を渡されると、何度も頭を下げた。そしてその身を翻して、今度はマウンドに駆け寄った。

 「ありがとう。ありがとう…。これからも頑張れよ」と王は宮田の右手を両手で包み込むように握った。プロ5年目の右腕。78年9月27日の中日26回戦(ナゴヤ)でプロ初勝利を挙げた以外は、目立った活躍のなかった宮田は王と最初で最後の対戦で、世界のホームラン王の花道を飾る1本を献上した。

 「わざと打たれたわけじゃないけど、四球だけは出しちゃいけないと思って真っ直ぐだけで勝負しました。悔しい?うーん、今日だけは喜んだ方がいいんでしょうね」と複雑な表情の宮田。中西監督は「ワンちゃんにええ思い出をプレゼントしたわ。きょうはええよ。ワンちゃんはホームランでバットを置くのがふさわしいんだから」と来季の1軍当落線上の右腕をかばっていた。

 宮田は翌81年途中に阪急にトレードで移籍。84年まで現役を続けたが、勝ち星は阪神時代の1勝のみで引退。以後、阪急、オリックスで打撃投手を務め、フロント入り。09年は査定・スコアラーグループ副部長を務めた。

 長嶋茂雄監督が巨人から去り、王が引退、さらにこの日は引退を表明していた西武・野村克也捕手も西武球場のファン感謝デーで4万人のファンを前に最後のあいさつ。「今日をもちまして選手生活にピリオドを打ちます」と話し、その後の場内一周のセレモニーでは目頭を押さえ、流れる熱いものを必死にこらえていた。

 野村の最終打席は紅白戦でのランニング本塁打。ファン感謝デーでの“シナリオ通り”の一撃だったが、60~70年代のプロ野球を支えたセパの本塁打王は、形はどうあれホームランで最後の幕を引いた。


【2009/11/16 スポニチ】
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