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【11月17日】1962年(昭37) 


 【全日本4-0デトロイト・タイガース】124球目。渾身のストレートに5番マカーリッフェ二塁手の打球は完全に詰まった。大毎(現ロッテ)・山内和弘中堅手がやや前進して難なく捕球すると、マウンドの阪神・村山実投手は初めて笑顔を見せた。

南海・野村克也捕手とがっちり握手した背番号11が、62年のシーズンでチーム本塁打数200本超えを果たしたばかりの強打デトロイト・タイガース相手に2安打6奪三振の完封勝利を収めた。

 「ああ、ええ気持ちや。この前、甲子園ではスコンスコンやられたからなあ。今日は投球パターンを変えたんや」。その11日前、阪神単独でタイガースに挑戦し、先発した村山は4回を投げ、2本塁打を浴び4失点で事実上KO。4-11で大敗の“戦犯”となった。

 「大リーガーにストレートがどれだけ通用するか腕試しや」と意気込んで登板したが、真っ直ぐだけなら村山より速い投手がいるメジャー。真っ向勝負の村山は百戦錬磨のスラッガーたちの餌食となった。

 2度目の先発。同じ失敗を繰り返しては、全日本を代表して投げる以上申し訳が立たない。村山は試合前、野村に言った。「きょうは変化球でいくで」。午後1時32分、試合開始。村山は初球カーブから入った。1番フェルナンデス遊撃手、2番ブルートン中堅手から連続三振を奪う最高の滑り出し。ウイニングショットは村山の“伝家の宝刀”フォークボールだった。

 5、6、7…。回が進んでも村山は得点を許さなかった。直球を見せ球に使い、フォーク、カーブ、シュートなど持ち球をフルに駆使して凡打の山を築かせた。点数どころか、出した走者は初回の四球の1人のみ。ノーヒットノーラン投球を続ける村山に、後楽園の3万5000人の観衆はざわめきだした。

 その間、全日本は初回に東映(現日本ハム)・張本勲左翼手の先制三塁打、野村のセンターバックスクリーンに飛び込む本塁打などで4点を奪った。勝利はほぼ確実。焦点は村山の大記録だけだった。

 8回も2死。8番ロアーク捕手の打球はフラフラっと左翼へ上がった。張本が懸命に前進し捕球、したかに思えたが、白球はグラブに当たってこぼれ落ちた。ヒットかエラーか…。公式記録員の判断にゆだねられたが、スコアボードには非情にも「H(ヒット)」のランプが灯った。

 9回にも1安打が記録されたが、これもバントヒット。結局クリーンヒットは1本も浴びず、村山は日本プロ野球史上初の単独での完封勝利を飾った。

 タイガースは来日し18試合で12勝4敗2分の成績を残した。ボブ・シェフィング監督は印象に残った選手として「投手はムラヤマ、打者はナガシマ」とした。巨人・長嶋茂雄三塁手には「凡打でもいつも全力疾走」と技術以前の野球に対する取り組み姿勢を評価したのに対し、村山の評価は「あの投球には脱帽する。速球もいいが、ストライクの軌道から消えるように落ちるフォークはすごい」と絶賛。さらに意味深な言葉を残して帰国した。「来年阪神はわが軍のキャンプに参加するそうだが、ムラヤマがスカウトされ、日本に帰りたくないと言っても知らんぞ」。メジャーが本気で獲得したい思った投手の第1号は村山だったのかもしれない。 


【2009/11/17 スポニチ】
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