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【4月28日】1989年(平元) 

 【中日4―3巨人】延長11回表、中日にとって7イニングぶりの得点となった、6番仁村徹二塁手の右翼ポール際に飛び込んだ2号勝ち越しソロ本塁打。この1点を守りきれば、星野仙一監督にとって、対巨人戦、平成初勝利に…。指揮官はリリーフエース、郭源治投手をマウンドに送った。

 自らマウンドに行き、郭の投球練習を見守った指揮官。郭の登板は、4月13日の阪神戦以来、15日ぶり。左太ももの外側を痛め、大事をとって登板を回避し続けてきた。しかし、ライバル視する巨人に4戦目まで白星なしは、星野監督にとって耐え難いことだった。郭自身が「投げられます」と志願しての出番。闘将はその言葉を信じた。

 規定投球数の8球を投げ終えた直後だった。星野監督が何事か郭につぶやいた。郭の顔色が青ざめ、その後で小声で何かを言った。あきれたような表情で寂しそうな笑みを浮かべた背番号77は、岡田球審のもとへと歩み寄った。

 星野監督の話を聞いた、岡田球審が観客への説明のためマイクを握った。「中日側は投手に郭を指名しましたが、マウンドで足を痛めたと申し出があったため、急きょ投手を田中(富生)投手に代わります。これを審判は認めます」。投球練習中に異変を感じた星野監督が郭に問いただすと、太ももが再度痛み、投球動作の時に足をきちんと踏み出せないとのことだった。

 前代未聞のリリーフ投手の0球降板という事態。岡田球審がわざわざ説明したのは、公認野球規則にこんな決まりがあるからだった。

 野球規則三・〇五「先発投手及び救援投手の義務」の(b)
 ある投手に代わって救援に出た投手は、そのときの打者または代打者がアウトになるか一塁に達するか、あるいは攻守交代になるまで、投球する義務がある。ただし、その投手が負傷または病気のために、それ以後投手としての競技続行が不可能になったと球審が認めた場合は除く。

 過去、先発投手が試合前に故障が発覚したりして、登板できず別の投手が代役を務めたケースはあったが、一度マウンドに上がった投手が“投げられません”と言って、交代するのはプロ野球史上初の出来事だった。

 岡田球審は巨人にも説明した。しかし、藤田元司監督も釈然としない様子。「突発的な足の故障をアンパイアが認めたのだから仕方ない。でも、ああいうのはちょっと…。ブルペンで投手コーチが気が付かなかったのか…」と苦言を呈した。

 代わった田中もブルペンで5、6球投げただけで登板。先頭の7番有田修三捕手に四球を出すなど、得点圏に走者を背負ったが、なんとか無得点に抑え、中日は89年巨人に初勝利を挙げた。が、星野監督に笑顔はなかった。

 「あのことはもうええやろ。審判に説明した通りや」と試合終了後も話したがらない指揮官。正直な気持ち、使えない選手を出してしまったことに自ら恥じていた。郭は翌日登録抹消となった。

【2011/4/28 スポニチ】

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