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【6月18日】2000年(平12) 

 【横浜3―1広島】かぶっていたヘルメットと左手に握っていたバットを思い切りグラウンドに叩きつけて、背番号10はベンチに消えた。

 ベンチから裏にあるロッカールームへ。それでも怒りは収まらない。バットを床に放り投げて大声を出して言った。「2軍でも何でもいいや!」。あまりの剣幕にベンチは空っぽになって、ほとんどの選手がその様子を遠巻きに見に行った。

 プロ20年目のベテラン、横浜・駒田徳広一塁手がキレた。広島12回戦(横浜)の6回2死一、二塁。広島の右腕、ネイサン・ミンチー投手を打ちあぐねていた横浜は勝ち越しの好機に6番の駒田に打順が回ってきた。打率は2割3分4厘、ここまで2打席2三振。全くタイミングが合っていなかった。打席に向かおうとする駒田の後ろから、権藤博監督が渡田均球審のもとへ歩み寄った。

 「代打、中根」。

 「監督から話?あるわけないでしょ。(最近は)声も聞いたことがない。チームには申し訳ないが、僕と同じ立場で同じことをされたらどうするかってこと!」。“監督批判”をした駒田はそのまま私服に着替えると、スタンドで観戦していた家族を携帯電話で呼び、横浜が鈴木尚典左翼手の二塁打で勝ち越し点を挙げた8回裏に自家用車でそのまま帰宅。無断で職場放棄した形となった。

 チームはこの時点で首位巨人から6ゲーム差の最下位。あの38年ぶり日本一からわずか2年。「投手に甘く、打者に厳しい」と感じていた横浜の野手と権藤監督の関係はいいとは言えない状態にあった。そこで起きた駒田の事件だった。

 事の重大さを感じた球団は翌19日、早くも処分を発表した。駒田の2軍降格、罰金30万円を決定。午前中に球団事務所に駒田を呼び出し、処分の内容を伝えると、横浜スタジアムで練習中の権藤監督に謝罪に行かせた。

 「監督と話をした時間?30秒だよ。十分でしょ」と駒田。権藤監督は「駒田に感情的なものはないし、用兵に私情が入り込む余地はない」と、前日の代打はあくまで指揮官として最善の手を打ったことを強調した。

 駒田は通算2000安打にあと30本と迫っていた。2軍降格は調整というより、懲罰そのもの。若手起用方針を打ち出していた横浜が、問題を起こした駒田を今後使うかどうかはかなり不透明だった。

 ファームでミニキャンプを張り、走り込みからやり直した駒田はその後1軍に復帰。9月6日の中日22回戦(ナゴヤドーム)で2000本に到達した。しかし、その半月後には戦力外通告。あくまで現役にこだわった男は、球団の引退セレモニーなどをすべて拒否。他球団移籍の道を模索したが、声はかからなかった。

 駒田の通算安打は2006本。11年6月18日時点で2000本以上達成者38人の中で一番少ない記録である。

【2011/6/18 スポニチ】
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