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【8月21日】2007年(平19) 

 【阪神9―7ヤクルト】阪神ファンにとっては全く驚く光景ではなく、いつもの光景だった。神宮でのヤクルト15回戦の2回、阪神の先発エステバン・ジャン投手がボークを犯した。これでシーズン12個目。03年に広島のクリス・ブロックが犯した11ボークの記録を更新。1シーズンの日本新記録となってしまった。

 小林球審に対し、不満をあらわにする助っ人右腕。すでに初回から5失点の大乱調。そのイライラもあって表情からかなり興奮しているのがうかがえた。

 その直後だった。ヤクルトの5番武内晋一一塁手への3球目は頭部に当たる死球。危険球退場となった。エキサイトしたのはヤクルトベンチ。「前もそうだったじゃないか。審判がナメられているんだよ」。古田敦也監督は先輩の阪神・岡田彰布監督に怒るわけにもいかず、怒りを小林球審にぶつけた。

 古田監督の言う“前”とは8月3日の広島―阪神12回戦(広島)でジャンはボークを犯した後、梵英心遊撃手に死球を与え、同じく危険球退場になっていた。

 無言のままベンチに消えると、裏ではグラブを投げつけ、壁を蹴ったり、バイプいすを投げたりと大荒れ。どうにもボークの判定が納得できないジャンだった。

 阪神にとって踏んだり蹴ったりの試合と誰もが思ったが、ジャンの降板で実は流れが変わった。緊急登板の桟原将司投手がジャンの残した走者を還してしまい、0―7となったが、ここから3番手の江草仁貴投手が好投している間に、阪神は代打桧山進次郎外野手の満塁弾などで5回までに逆転に成功。終盤はJFKが締めて、大逆転勝ちを収めた。

 阪神が7点差をひっくり返して勝ったのは、93年9月5日の中日21回戦(ナゴヤ)以来14年ぶり。「ジャンがメチャクチャにして引っ込み、ボロボロの試合やったけど…。こんなん年に何回もないゲームや」と岡田監督も思わぬ勝利に笑みを浮かべたが、ジャンについては「無期限2軍や」と顔をしかめた。

 メジャー11年、7球団を渡り歩き、通算33勝51セーブ。阪神は3億円の大金をつぎ込んで獲得したジャンは優勝請負人のはずだった。広島がドミニカに作ったカープアカデミーでは外野手で、メジャー初打席も初球本塁打という大リーグ史上5人しか記録していない珍記録の保持者というだけでも話題になった。

 しかし、投げる時の口の動きで球種が分かってしまう弱点も見つかり、さらにボークのことでも神経質になり、日本では結局、この危険球を最後に1軍で登板なし。6勝5敗の成績を残し退団。その後米球界に復帰した。

【2011/8/21 スポニチ】
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