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【6月27日】1970年(昭45) 

 【阪神14-0ヤクルト】もうおなかいっぱいだった。8回まで14安打13点、毎回安打毎回得点の阪神。先発した、兼任監督の村山実投手の通算199勝目も確実。8回裏、ベンチは余裕で2人目の吉良修一投手の投球をのんきに見ていた。

 「毎回得点か…。9回全部得点したチームってあるんか?」「さあ、どうやろ?」こんな会話が三塁側のタイガースベンチで交わされていた。「オレが聞いてきてやるよ」。この試合出番なし、すでに私服に着替えていた12年目の久保征弘投手が公式記録員に尋ねるため、ベンチを後にした。

 それから数分後、久保からの報告を聞いた西山和良コーチが大声で叫んだ。「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」。ナインが一斉に西山コーチに注目した。「もし9回に得点すれば、球史で2度目の大記録や。セ・リーグだと初めてや」。

 西山コーチの言うとおり、毎回得点は52年(昭27)6月7日、南海が後楽園での東急(現日本ハム)9回戦で18点を奪い圧勝した試合以来、18年もなかった大記録。しかも、セ・リーグでは1度も記録されていない“新記録”となる。「ここまできたらやっちまおう」。ベンチの士気はさらに上がった。

 9回、先頭打者は新外国人選手の4番、フレッド・バレンタイン中堅手。この日3安打猛打賞と当たっていただけに期待がかかったが、ヤクルト5番手緒方勝投手の初球を打ち二ゴロ。簡単に一死となった。

 5番は遠井吾郎一塁手から途中、和田徹に代わっていた。打率は1割台、ベンチは半ばあきらめムードだった。カウント2-2。緒方は内角へシュートを放った。コンパクトに振りぬいた打球は左翼への大飛球。大塚徹左翼手が背走するも白球は神宮球場の中段ではずんだ。

 スタンドからは座布団が飛び、興奮した虎党がフェンスによじ登って「和田ァー、ええぞ!」とビールの入った紙コップを振り回す始末。生還した和田はナインにもみくちゃにされながら、ベンチに戻った。「ホームラン狙ってたんですよ。でも2ストライクになったから、振り回さずにヒット狙いで振ったんですけど…。それにしても非力の僕の打球にしては飛びましたね」。大阪・明星高では捕手として夏の甲子園全国制覇。野球界でいう“何か持っている”男だった。

 村山監督は「こういう記録はチーム全体で盛り上がっていかないと達成できない記録。和田もよく打ったが、ベンチの雰囲気が打たせてくれた面もある」。和田が倒れれば、次は投手の吉良の打順。「記録のために吉良に代打を送るつもりはなかった」と村山監督は試合後に語っていることから、阪神にとっては和田が記録達成のための“最後の打者”だったことになる。

 この年の阪神はチーム打率2割4分5厘。現在のバッティング技術が向上した中では低い数字だが、これはこの年6連覇を成し遂げた巨人の2割4分よりも高い数字。古くはダイナマイト打線といわれた、タイガースの猛打ぶりを遺憾なく発揮した一戦だった。


【2008/6/27 スポニチ】

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