【10月7日】1986年(昭61) 

 【西武5-5ロッテ】川崎球場でのロッテ23回戦。4-5と1点ビハインドの西武。この試合を落とせば、マジック3の首位近鉄の優勝が色濃くなる中で、ルーキー・清原和博一塁手が27年ぶりの記録となる一打で、常勝ライオンズを救った。

 6回、好投のロッテ・田子譲治投手の内角に抜いたカーブを左手一本でとらえた打球は、左翼ポール際へ。高々と放物線を描きスタンドイン。プロ野球の新人本塁打記録タイとなる31号ソロ本塁打に小雨の中、辛抱強く観戦してくれた1万人の観客から漏れたのは「ワーッ」というため息とも歓声ともつかぬ、驚きの声を挙げた。

 ロッテベンチ、そして打たれた田子本人が「あんな難しい球をどうして…」と信じられない様子。西武ベンチは全員総出でお出迎え。ライオンズは若き獅子の技ありの一撃で絶望の淵から這い上がった。

 慎重な就任1年目の森祇晶監督がV争い真っ只中で清原の才能に賭け、そして当たった。奇しくもこのメモリアルデーで清原は初めて「4番」に座った。清原が「4番」を言い渡されたのは、なんとトイレで用を足している最中。横にたった毒島章一ヘッドコーチに「キヨ、4番で行くぞ」と言われ、「えっ、出るものが止まっちゃいますよ」と笑った。 西武負け試合を引き分けに持ち込み、地元に帰ってロッテに3連勝。清原は新記録の32号こそ出なかったが、逆転Vへの狼煙(のろし)を上げたことだけは確かだった。

 4番が初なら、敬遠もこの試合で初めて経験した。31号本塁打の次、7回の第4打席。同点で迎えた二死二塁の場面だった。ゆっくりと一塁に歩くと、この試合で47、48号本塁打と連発した尊敬する落合博満一塁手がいた。

 「4番は気持ちがいいだろう?」。そう言って微笑んだ落合。6月からオールスターが行われる7月中旬にかけてスランプに陥った清原を救ったのは、球宴で一緒になった落合のアドバイスだった。「低めのボールを救い上げようとすると、余計に悪くなる。上から叩きつけると自然とボールは上がっていく」。

 以後、清原は本塁打を量産。後半戦で20本塁打、9月は高卒新人初の月間MVPを獲得した。新記録の裏側には三冠王3回のバットマンがいた。

 27年前の59年(昭34)、同じくルーキーで31本塁打の新人記録をマークした桑田武三塁手(大洋)は当時、中央大学卒の23歳。清原は8月に19歳になったばかり。同じ高校卒でプロ入りした、巨人の王は59年のルーキー時代、わずか7本塁打。既にスーパールーキーといわれた、巨人・長嶋茂雄の新人時代の29本塁打は2日前の南海戦で抜き去った。清原の凄さが伝わるデータだ。

【2007/10/7 スポニチ】
arrow
arrow
    全站熱搜

    ht31sho 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()