(セ・リーグ、ヤクルト3-6広島、最終戦、広島13勝11敗、7日、神宮)ありがとう。さらば不世出の名捕手-。今季限りで現役引退、退団するヤクルト・古田敦也兼任監督(42)が7日、今季本拠地最終戦となる広島戦(神宮)に「5番・捕手」で先発出場。チームは3-6で敗れ、自身も4打数無安打に終わったものの、18年間つけた背番号「27」の雄姿をファンの目に焼き付けた。



 最後の最後までファンのそばにいたい。ロッカールームに引き揚げる途中、右翼フェンスによじ上った古田兼任監督に、3万3027人からの「古田コール」が滝のように注がれた。

 「あっという間でした。今の気持ちは感謝でいっぱいです。支えてくれてありがとう」。笑顔を見せようとしたが、熱いものをこらえきれない。瞳にはうっすらと涙が浮かんだ…。

 4月19日以来、今季3度目の先発で5番。4打席の結果は右飛、遊飛、中飛、遊ゴロ。快音は響かなかったが「いい思い出になりました」とラストゲームを満喫し、ホームベース上で5度、宙を舞った。

 「メガネの捕手は大成しない」と指名されなかった立命館大時代のドラフトから始まった「負けず嫌い」(本人談)の野球人生。ヤクルト入団後は野村監督(現楽天)からマンツーマンで指導を受け、あっという間に球界随一の捕手になった。「ID(データ重視)野球」を打撃にも取り入れ91年には首位打者。05年には大学生・社会人経験者初となる通算2000安打も達成した。

 だが、選手としての限界が突如やってきた。昨季は代打も含め36試合に出場しただけ。痛めた右肩の状態が深刻だった。今春のキャンプでは、キャッチボールでも少しずつ距離を伸ばし、気温が上がるまでシートノックもパス。最善を尽くしたが、思ったほど良くならない。

 シーズンが始まってからも、肩の筋肉を補うため他の選手が帰ってからウエートトレ。前半戦、自らを出場選手登録し続けたことで「なぜ試合に出ないのか」と批判を浴びたが、黙々とフリー打撃を続けたのも、ファンの期待に応えるためだった。出場する機会をうかがっていたが、だんだん「後進に道を譲るべきだ」との思いに勝てなくなった。

 そして、ついに“その日”が来た。「長いことプロやってるからこれでも感覚は取り戻せるよ」。引退表明(9月19日)の2日前にバッティングマシン相手の孤独なキャッチング練習を開始。プロとして、最後の舞台を締めくくる、静かな作業を始めた。

 前日6日の試合後に、全コーチのロッカーにサイン入りバットを1本ずつ置いた。「みんな記念に欲しいけど、こっちからは言い出せない。監督の気配りだった」と杉村打撃コーチ。2年間、兼任監督を支えたコーチ陣へのささやかな感謝の証。もう使うことのないバットを置き土産にした。

 9日の横浜戦(横浜)でシーズンを終えると、長年の夢だった世界旅行に出かける。労組・選手会の会長として球界再編のカジを切り、「理想の上司」のトップに挙げられる42歳は、またひと回り大きくなる旅に出る。セレモニーを「また会いましょう」と締めくくった古田兼任監督。記録も記憶も残した男は、いつの日か再び無限の可能性を秘めて球界に戻ってくる。


■引退セレモニーでの古田のあいさつ
 きょう朝起きたときに、いよいよこの日が来たなと思ったんですけど、何かあっという間に終わってしまいました。

 今、思う気持ちで言いますと、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう、本当にありがとうございます。今、ここにいますけど、両親には本当に感謝しています。よく、ここまで育ててくれてありがとうございます。次はやはり、チームメートとコーチ、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。いい仲間と巡り会えてここまでやれたと思います。

 そしてスワローズファンの皆様、ありがとうございました。本当にずっと応援してくれてありがとうございました。本当に支えてくれてありがとうございます。何度も心が折れそうになったり、弱気になったり、いろんなことがあったんですけど、本当に皆さんの声に支えられました。ありがとうございました。(ここで言葉に詰まる)

 18年間本当にありがとうございました。また…また、会いましょう。


■引退試合アラカルト
 ◆長蛇の列 試合前には約8000人が、約3キロの列を作って開門を待った。先頭は都内に住む演奏家の中川鉄也さん(46)ら4人。「3日の阪神戦の終了直後から並びました」
 ◆グッズ Tシャツなど全20種類、約2万5000点を完売。5日からの3日間で約5万点売り上げた
 ◆警備体制 超満員を想定したA体制の330人から、さらに60人増強。警視庁四谷署員も応援
 ◆報道陣 通常の約30人から5倍の150人超まで膨れ上がった
 ◆開門時間 予定より1時間早め、午後3時半に外野席を開門。球場では東京六大学野球リーグ戦の立大-明大の試合中だった
 ◆ハプニング 立大-明大戦が長引いたため、予定より10分遅れの午後6時半に試合開始
 ◆メッセージカード 来客者全員に「Thank you ミスタースワローズ」と書かれたメッセージカード4万枚を配布。スタジアムをグリーンに染めた
 ◆超満員 観客数は今季最多の3万3027人。今季7度目の満員御礼となった。



★広島・佐々岡が古田監督ラスト打席に志願「いい思い出」

 今季限りで引退する佐々岡が、古田監督の引退試合での最後の打席で対戦相手を務めた。アマ時代(NTT中国)に日本代表でバッテリーを組み、ともに90年のドラフトでプロ入り。自ら希望して八回二死一塁でマウンドに上がった。カウント2-1から遊ゴロに仕留め、「全部真っすぐを真ん中に投げるつもりだったけど、球が遅すぎた。すごくいい思い出になりました」と感慨に浸っていた。


★「27」は永久欠番にならない?鈴木球団社長「検討はしたい」

 ヤクルトがファン獲得のため立ち上げた「Fプロジェクト」が古田監督の背番号「27」を永久欠番にすべきか否かのアンケートを行い、89.4%が賛成した。しかし、ヤクルトは永久欠番の前例がなく、通算2173安打の球団記録を持つ若松勉前監督の「1」も、欠番になっていない。鈴木正球団社長は「検討はしたいが、過去に例がないし、どこが基準なのか決める必要もある」と慎重だった。


古田監督に聞く「あっという間に終わった。いい思い出になる」

 ――試合を振り返って

 「勝てなくて残念ですが、あれだけみんなに声を掛けてもらったので幸せだとな思います」

 ――最後は涙を流していた

 「泣かずに終わろうと思ったけど、真中が先に泣いていたんで…」

 ――どんな思いで試合を迎えたか

 「監督っていうこともあるんでね。『自分の野球だけを楽しめ』って言ってくれた人もいるんですけど、そういう訳にはいかず必死に頑張りました。いろんなことがあって、あっという間に終わった。いい思い出になると思います」

 ――最後は石井一から高津の継投

 「長くやった仲間なんでうれしかったですよ」

 ――最後の打席は佐々岡との対戦だった

 「やりにくいとかはなかったですね。佐々岡とは同期でプロに入って、アマでも日本代表で一緒にやったこともある。『一生懸命に投げるんで打ってください』と言われたけど、打てなかった。彼もカープのエースをずっとやってきたんで、最後にいい相手とできたと思います」

 ――改めて18年間を振り返って

 「毎日毎日これが一番いいかなと、いろんなことを考えてきた。全力でやってきて、やり遂げたというわけではないけど、悔いが残らないように頑張ってきました」

 ――最後は胴上げで送られた

 「優勝の胴上げじゃないんでね。これで終わりかなと思いました」

 ――勝って終わりたかった

 「勝ちたかったんですけどね。いい試合で終わりたかったんで、悔しい思いはあります」

 ――18年間で思い出に残っているのは

 「最近では01年の優勝がうれしかったですね。神宮で終われたし、キャッチャーフライで終われたし、個人的にはじん帯をやったりしたんで。あと荒木大輔の復活というのもありますね。スゲエなと。若いときの衝撃では一番でした」

 ――04年には選手会でも奔走しました

 「あのときは緊急事態だった。3カ月間突っ走ってましたね。あそこで食い止められなかったら、10球団、8球団となっていた。ファンの人も対岸の火事と思わずに協力してくれて、経営者側の考えも変わった」

 ――この日で選手としての出場は最後?

 「とりあえず、ひと区切りだと思ってやりました。一応きょうで終わりです。それじゃサプライズにならないけど(苦笑)」

 ――4番・青木は?

 「これから(チームを)しょっていかなくちゃいけない選手。4番を打てとは思わないけど、そのメッセージでした」

 ――右翼フェンスに上がったが?

 「ラミレスが『上がれ』っていうんでね。ありがたかったですね」

■古田敦也・記録アラカルト
 ◆出場試合 この日の出場が通算2007試合目(歴代37位タイ)で、大卒→社会人経験者では史上最多。捕手としての出場数は史上5番目の1959試合。
 ◆通算2000安打 05年4月24日の広島戦で達成。史上32人目。捕手では野村克也に次ぐ2人目で、大卒→社会人では初。通算2096安打は歴代23位。
 ◆打率3割 3割以上8度は捕手として史上最多の回数。次いで野村克也の6度。91年には首位打者を獲得。
 ◆4連発 03年6月28日の広島戦で史上17人目(18度目)の4打数連続本塁打。1試合4発は史上5人目。
 ◆盗塁阻止率 リーグ1位は18年間で10度記録。93年.644、00年.630と6割以上が2度あった。
 ◆ベストナイン(捕手) 獲得回数9度は歴代3位で、セ・リーグでは最多。ゴールデングラブ賞10度は歴代2位、セ最多。
 ◆オールスター 選手として90-06年に17年連続で出場。92年第2戦では史上唯一のサイクル安打を達成。このときと91年第1戦でMVP。
 ◆日本シリーズ 92、93、95、97、01年の5度出場。92年以外の4度は日本一。97、01年にMVP獲得。

【2007/10/8 サンスポ.COM】
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