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【10月24日】1989年(平1) 

 【近鉄3-0巨人】球団創設40年目の秋、近鉄は悲願の日本一に最接近した。

 東京ドームでの日本シリーズ第3戦。先発加藤哲郎投手が7回途中まで被安打3の快投を演じ、村田辰美、吉井理人とつないで巨人を完封。6年目で公式戦わずか1本塁打の光山英和捕手が2ラン本塁打を放つなどして、3連勝となりシリーズ王手をかけた。

 近鉄・中西太ヘッドコーチの「銀座で祝勝会や」という冗談も現実味を帯びるほど、全く振るわない巨人打線。ヒーローインタビューでジャイアンツの印象を尋ねられた時、何事も率直に、思ったことを口にする加藤はこう答えた。

 「シーズン中より楽ですよ。この程度のところに負けたら、西武とオリックスに申し訳ない」(89年10月25日付、スポニチ)。

 近鉄は前年88年、伝説の最終戦「10・19」の続編のようなデッドヒートの末、オリックス、西武を振り切り、9年ぶりにパ・リーグを制し、選手権に出てきた。シーズン7勝の加藤の気持ちの中には、そのしんどい思いが強かったのだろう。それにシリーズ直前に肩を痛め、全力で投げられない中で大きなピンチもなく、巨人を抑えられたことで、気分が良かったこともあっての発言だった。

 ただ、「西武とオリックスに…」の言葉はファンの印象には残らなかった。この言葉の後にこんなことを言ったと報じたところもあった。「巨人はロッテより弱い」。89年、ロッテはパ・リーグで2年連続最下位に沈んだ。近鉄は対オリオンズ18勝7敗1分と大きく勝ち越していた。

 しかし、当の加藤は「巨人はロッテより弱いなんて、ひと言も言っていない。マスコミが西武やオリックスに申し訳ないの後に勝手につけた」と断言している。

 ロッテ云々のことは今となっては真相は分からないが、しかしこの言葉がいつの間にか伝わり、巨人ナインの闘志に火を付けてしまった。最下位のチーム以下とまで言われたとあってはG戦士のプライドが許さない。第3戦が終わった30分後、ドームで異例の特打ちが始まる中、ある選手は低い声で言った。「絶対加藤を潰す」。

 第4戦で打線を組み替えた巨人はこれが当たり、投げてはシリーズ初登板の香田勲投手が3安打完封で5-0の完勝。第5戦はシリーズ18打席無安打だった原辰徳左翼手の満塁本塁打が飛び出し、6-1で勝つと流れは変わった。

 加藤が巨人と再びぶつかったのは10月29日、3勝3敗で迎えた藤井寺球場での第7戦。駒田徳広一塁手に本塁打を浴びるなど、今度は3回3分の1、3失点でKOされた。「オマエが巨人を刺激したから負けた、とはその後一度も言われなかった。僕もあれが勝負と思っている」と加藤。あまりにも率直な発言をしてしまったとも言えるが、その言葉自体を悔いてはいないようだ。

 89年オフ、ドラフト会議で8球団が競合した野茂英雄投手が近鉄に入ることになった際に「野茂に(契約金を)払い過ぎなんじゃないの」と、自身も82年ドラフト1位の加藤は契約更改の際、年俸が思ったほど上がらなかったことで球団にかみつき、日本シリーズに続いてまた“ビッグマウス”と言われた。

 その後広島、ダイエーと渡り歩き、95年に引退。通算17勝12敗。引退後は解説者、大阪でクラブ、ラウンジを経営。

【2008/10/24 スポニチ】
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