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【8月2日】2008年(平20) 

 その日、オリックス担当の記者に緊急会見の告知がされたのは午前11時だった。2時間半後、会見の主役が京セラドームのインタビュールームに姿を見せた。

 「こんな状態では来年グラウンドに立っていないと思います。あすからの1打席、1球が自分の野球人生の最後だと思っています」。
 その目は充血し、涙を堪えるのが精いっぱいだった。あふれでる熱いものを見せまいと、天井を見上げた。背番号5、清原和博内野手は、2年ぶりの1軍昇格が決まると同時に今季限りでの現役引退をマスコミの前でほのめかした。

 左ひざの痛みは時として、普通に歩行することも困難なほどひどい状態だった。「手術前からドクターに“痛みが消えることはない”と言われた」と明かした清原。だからといってこのままユニホームを脱ぐ、という選択肢はプロ23年目の天才打者には考えられなかった。

 「正直な気持ち、以前の清原らしいバッティング、プレーができるのか不安でいっぱいです。本当に無様な姿をみなさんの前でさらすことになるかもしれない」と偽らざる心境を口にした。それでもこう続けた。「あす、つぶれるかもしれません。でも、どんな形でも僕のひざが持つ限り、チームに貢献したいし、戦いたい。玉砕の精神でやっていきたい」。悲壮な覚悟だった。

 清原本人に覚悟はできていても、それを家族に伝えるのはやはり勇気がいった。「やっぱり両親に伝える時が一番つらかった。1軍に合流することになって、休みを利用して(実家のある大阪・)岸和田に帰り、先祖のお墓参りをしようと思った。母親をおんぶしながら、面と向かって話するとあれなんで、おんぶしながら伝えた」。息子から“決意”を聞かされた母。言葉はなかったが、涙が止まらなかったという。

 翌3日、清原はソフトバンク15回戦の7回に代打で登場。1軍695日ぶりの打席は大隣憲司投手に空振り三振に仕留められた。それでもフルスイングだけは忘れなかった。4日には三瀬幸司投手から中前打を放ち、復帰後初安打。事実上の引退会見後、7000万円以上の売り上げをみせたという、清原関連グッズを手にしたスタンドのファンはメガホンを打ち鳴らして喜びを表現した。

 10月1日、杉内俊哉投手から放った右中間二塁打を最後に、清原が打った安打数は計2122安打で歴代23位。最後の打席で同じく杉内から喫した三振は1955個となった。これはプロ野球歴代1位。死球196個と並んで、清原が持つ歴代トップの記録である。

【2011/8/2 スポニチ】
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