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【6月18日】1991年(平3) 

 【中日7―6大洋】強烈な弾丸ライナーが左翼を襲った。吸い込まれるようにナゴヤ球場のフェンスをギリギリの高さで越えた打球は、そのままスタンドに突き刺さった。

 延長10回、中日の5番彦野利勝中堅手が大洋・盛田幸妃投手から放った3号本塁打は、4時間12分の試合に終止符を打つサヨナラ弾となった。

 打球の着弾点を確認した一塁側ベンチからは小躍りしてドラゴンズナインが飛び出し、ヒーローの彦野に視線をやった。が、その瞬間、誰もが目を疑う光景が目の前に広がった。

 一塁ベースを回ったところで、彦野が右のひざ辺りを押さえながら悶絶していた。悠々とダイヤモンドを一周しているはずの選手が、走るどころか立ち上がることさえできずに悲鳴を上げていた。

 星野仙一監督以下、ナインはただぼう然とするばかり。状況を確認した平光清球審は彦野がこれ以上走ることができないと判断し、星野監督に代走を要請、山口幸司外野手が指名された。突然の指名に初体験の山口も戸惑った。「どうやって回れば?」ときょとんとする背番号9は「ベースを一周してくるだけや」と星野監督に怒鳴られてしまった。

 プロ野球史上、本塁打を放った後にアクシデントが起こり、打者走者以外の代走がホームを踏んだケースはこれで2回目。しかもサヨナラの場面では、これが初めてという珍しいシーンとなった。

 平光球審が代走を認めた根拠は、野球規則五・一〇(C)の付記の項にある。「プレイングフィールドの外への本塁打、死球の場合のように、一個またはそれ以上の安全進塁権が認められた場合、走者が不慮の事故のために、その安全進塁権を行使することができなくなったときは、その場から補欠に代走させることができる」。

 「一塁のベースの前で右ひざがガクッときた。ホームランになるんなら、もっとゆっくり走ればよかった。打球がライナーだったので、とにかく二塁まで行かなきゃって、急いだのがまずかった」。担架で運ばれ、ベンチ裏でアイシングをしながら、報道陣の質問に答えた彦野。「ひざは古傷もあるところ。ケアのやり方は知っている。2、3日すれば大丈夫」と笑っていた背番号8だが、その半月後、笑えない事態となった。

 当初右ひざのねん挫で3週間の加療が必要とされたが精密検査の結果、右ひざのじん帯が断裂していたことが判明。3週間どころか、全治3カ月の大ケガで、シーズン中の復帰は絶望となった。

 入団9年目。打率3割2分と絶好調、初の規定打席3割も十分手の届く位置にいたが、それも夢に終わった。歓喜のサヨナラ本塁打の後に、奈落の底へ落とされた彦野が懸命なリハビリと努力でカムバック賞を受賞したのが、その3年後の94年。「自分は対象外だと思っていた」と照れたが、地獄からはい上がってきた男は98年までプレー通算669安打、85本塁打を記録した。

 背番号57でプロ生活が始まり、レギュラー番号の8を経て、もう一度57番を付けた。最後の最後までフルスイングという原点を忘れずに強振し続けた2966打席だった。


【2010/6/18 スポニチ】
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