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【6月13日】1987年(昭62) 


 【中日8―3広島】5回裏、広島の2番正田耕三二塁手が一邪飛に終わると、外野席に「2131」の人文字が浮かんだ。割れんばかりの拍手の中を背番号3がマウンドへと手を振りながら走って行くと最初のセレモニーが始まった。

 衣笠祥雄三塁手、40歳。米大リーグ、ルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の持つ、2130試合連続試合出場を48年ぶりに塗り替える、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成した。

 中曽根康弘首相(当時)からのメッセージが流れ、続いて花束贈呈。誕生日が4日しか違わない同級生、中日・星野仙一監督がベンチでの険しい表情とは打って変わって、優しい笑顔で赤いバラを手渡した。ジーンときたのか、衣笠も満面の笑みを浮べながら、今にも泣き出しそう。「修羅場をくぐってきた18年間。そしてこの記録。心からおめでとうと言いたい」。ともに熱い勝負を繰り広げてきた戦友が贈った言葉は、飾らずとも衣笠の心にしみ込んだ。

 6回、2死で5番の衣笠に打順が回ってきた。ここまで5勝1敗と好調の中日のエース、小松辰雄投手の150キロ近いストレートに不惑の鉄人は振り負けなかった。強くたたいた打球は左翼ポール際にライナーで飛んだ。「角度が低くてどうかなぁって思ったけど」という一撃は、スタンドになんとか届いた。1点差に迫る8号ソロ。通算495本目のアーチだった。

 「記念すべき試合にホームランを打てたのは良かった。プロ入り初本塁打とこのホームランは一生忘れられないでしょう」と衣笠。ルーキーイヤーの65年(昭40)8月22日、阪神15回戦(広島)でエースの村山実投手から放った初めて一発の時と同様、メモリアルデーの祝砲も「打球の行方を見る余裕もなく、夢中で走った」と振り返った。

 試合終了後、衣笠は竹内寿平コミッショナーから「おめでとう世界新記録 2131 連続試合出場記録」と記された花輪を贈られた。2万5000人の観客の鳴り止まない拍手と歓声の中、入団以来の今までの歩みが走馬灯のように衣笠の頭の中をめぐった。

 捕手として入団し、2年目に一塁転向。野球よりスポーツカーに夢中になって、乗り回した挙句、物損事故で車は大破。免許を取り上げられた初めて野球に打ち込んだ。70年10月19日、消化試合の巨人戦で途中から守りについたのが大記録の始まり。75年の初優勝、79、80年の連続日本一。その間、不振でスタメンから外され、フルイニング連続出場は678試合で途切れた。84年には日本一と初のMVP獲得。3度目の日本一も味わった。

 「野球を与えて下さった神様に感謝します。(略)昭和40年にプロ入りして、こんな晴れがましい祝福をしてもらえるとは夢にも思いませんでした。これからも一生懸命好きな野球に頑張って行きたいと思います」。

 ファンに対しお礼の言葉を述べ、その後国民栄誉賞まで授与された衣笠がユニホームを脱いだのが、それから4カ月後。10月22日の大洋26回戦(横浜)で2215試合連続試合出場と、通算3085安打のプロ野球記録を残した張本勲外野手と並ぶ通算504号本塁打を放って有終の美を飾っての引退だった。


【2010/6/13 スポニチ】
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