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【7月1日】1962年(昭37)
【巨人10-0大洋】あの日、雨が降らなかったら巨人・王貞治一塁手の本塁打世界記録は生まれなかったかもしれない。
川崎球場での大洋-巨人15回戦は、前日夜半からの雨の影響で試合時間が30分遅れた。この間を利用して行われた巨人1軍首脳陣によるミーティングは始まりから殺気立っていた。大洋、阪神に遅れをとり3位の巨人。6月30日の大洋14回戦では藤田元司投手が1失点ながら、打線はわずか1安打で鈴木隆投手に完封負け。苛立つヘッドコーチの別所毅彦と打撃コーチの荒川博はつかみ合い寸前の口げんかを繰り広げた。
「荒川!王だよ、王、何とかしろよあのバッティング。3番のアイツが打てないから、ピッチャーが頑張っても勝てねぇんだ!」「僕は王に三冠王をとらせようと思ってやってるんだ!ホームランだけでいいならわけないですよ!今日から打たせますよ!」「よーし、じゃあそうしてくれよ。ホームラン打ってくれよ今日から!」「分かりました!今日からホームランだけ行きますよ!しっかり見ててくださいよ!」。
やぶれかぶれもいいところだった。61年オフから半年以上。荒川による王の打撃フォーム改造は、まだ道半ばもいいところだった。鈴木に完封された試合で王は2三振。その夜、王は荒川に「打席に立つのが怖い」と泣きついた。だが、別所に“約束”した以上、荒川は何かをしなければならなくなった。
「王、王はどこにいる!」。荒川が血相を変えて王を探した。三塁側ベンチの隅っこでぼんやりと座っていた王に荒川は「とても怖い目つき」(王)で切り出した。「王、アレで行け。アレで。今日の試合は右足上げて打ってみろ」。
左足に重心が乗らず、上体が突っ込んだままの形で打つクセのあった王。その矯正にと、荒川と2人で一本足打法に真剣に取り組んでいたが、一本足にすべてをかけていたわけではなかった。こんな打ち方もあるかなあ、正直その程度、選択肢の中の1つだった。
王にも確信は全くなかった。この年の3月11日、大阪球場での南海とのオープン戦で意識的に右足を上げて試してみたが、それ以来実戦では構えたことすらない。しかし、王もわらをもつかむ心境だった。打率は2割5分9厘、本塁打はもう1カ月近くなかった。かなり不安だったが、荒川に言われるまま、一本足で打席に立つことを決めた。
王は「1番・一塁」で1回表の第1打席に臨んだ。大洋先発はルーキーながらここまで3勝の右腕・稲川誠投手。モーションと同時に、左打席の王の右足が地面から離れ高く上がった。「何じゃあ。バカにしてんのか」。稲川は一瞬頭に血が上りながらも、外角へカーブを放った。王が反応し、打球は一、二塁間を真っ二つ割って右前へ飛んだ。
2打席目は3回表。また右足が上がった。「さっきはたまたま。これでどうだ」と稲川が投げたのはインコースの速球。王がバットを出すと、打球は満員の右翼席へ一直線のシーズン10号本塁打。歴史的な一本足打法による初本塁打。6回には苦手の左腕・権藤正利投手から中前適時打を放ち、これで3安打3打点の猛打賞。未完成の打法で結果を出した王は、目の前から霧が晴れて行くような心境になった。
今なら「一本足打法登場」とマスコミも大騒ぎしたはずだが、翌7月2日のスポニチには、巨人が前夜と打って変わって爆勝したことや王の3安打には触れても、その打ち方に関しての記事は皆無。一本足打法はこれといって注目もされずに誕生したのだった。
開幕から3カ月で9本塁打の王は7月だけで10本塁打。7月29日、甲子園での阪神13回戦で18、19号を小山正明から放ち、初めて単独で本塁打王争いトップに躍り出た。ようやくマスコミが騒ぎ出したころ、自信なさげに打席に入っていた王の姿はなく、シーズン終了までに38本塁打を放ち、この年初のタイトルとなる本塁打王と打点王(85打点)を獲得した。
【2008/7/1 スポニチ】
【巨人10-0大洋】あの日、雨が降らなかったら巨人・王貞治一塁手の本塁打世界記録は生まれなかったかもしれない。
川崎球場での大洋-巨人15回戦は、前日夜半からの雨の影響で試合時間が30分遅れた。この間を利用して行われた巨人1軍首脳陣によるミーティングは始まりから殺気立っていた。大洋、阪神に遅れをとり3位の巨人。6月30日の大洋14回戦では藤田元司投手が1失点ながら、打線はわずか1安打で鈴木隆投手に完封負け。苛立つヘッドコーチの別所毅彦と打撃コーチの荒川博はつかみ合い寸前の口げんかを繰り広げた。
「荒川!王だよ、王、何とかしろよあのバッティング。3番のアイツが打てないから、ピッチャーが頑張っても勝てねぇんだ!」「僕は王に三冠王をとらせようと思ってやってるんだ!ホームランだけでいいならわけないですよ!今日から打たせますよ!」「よーし、じゃあそうしてくれよ。ホームラン打ってくれよ今日から!」「分かりました!今日からホームランだけ行きますよ!しっかり見ててくださいよ!」。
やぶれかぶれもいいところだった。61年オフから半年以上。荒川による王の打撃フォーム改造は、まだ道半ばもいいところだった。鈴木に完封された試合で王は2三振。その夜、王は荒川に「打席に立つのが怖い」と泣きついた。だが、別所に“約束”した以上、荒川は何かをしなければならなくなった。
「王、王はどこにいる!」。荒川が血相を変えて王を探した。三塁側ベンチの隅っこでぼんやりと座っていた王に荒川は「とても怖い目つき」(王)で切り出した。「王、アレで行け。アレで。今日の試合は右足上げて打ってみろ」。
左足に重心が乗らず、上体が突っ込んだままの形で打つクセのあった王。その矯正にと、荒川と2人で一本足打法に真剣に取り組んでいたが、一本足にすべてをかけていたわけではなかった。こんな打ち方もあるかなあ、正直その程度、選択肢の中の1つだった。
王にも確信は全くなかった。この年の3月11日、大阪球場での南海とのオープン戦で意識的に右足を上げて試してみたが、それ以来実戦では構えたことすらない。しかし、王もわらをもつかむ心境だった。打率は2割5分9厘、本塁打はもう1カ月近くなかった。かなり不安だったが、荒川に言われるまま、一本足で打席に立つことを決めた。
王は「1番・一塁」で1回表の第1打席に臨んだ。大洋先発はルーキーながらここまで3勝の右腕・稲川誠投手。モーションと同時に、左打席の王の右足が地面から離れ高く上がった。「何じゃあ。バカにしてんのか」。稲川は一瞬頭に血が上りながらも、外角へカーブを放った。王が反応し、打球は一、二塁間を真っ二つ割って右前へ飛んだ。
2打席目は3回表。また右足が上がった。「さっきはたまたま。これでどうだ」と稲川が投げたのはインコースの速球。王がバットを出すと、打球は満員の右翼席へ一直線のシーズン10号本塁打。歴史的な一本足打法による初本塁打。6回には苦手の左腕・権藤正利投手から中前適時打を放ち、これで3安打3打点の猛打賞。未完成の打法で結果を出した王は、目の前から霧が晴れて行くような心境になった。
今なら「一本足打法登場」とマスコミも大騒ぎしたはずだが、翌7月2日のスポニチには、巨人が前夜と打って変わって爆勝したことや王の3安打には触れても、その打ち方に関しての記事は皆無。一本足打法はこれといって注目もされずに誕生したのだった。
開幕から3カ月で9本塁打の王は7月だけで10本塁打。7月29日、甲子園での阪神13回戦で18、19号を小山正明から放ち、初めて単独で本塁打王争いトップに躍り出た。ようやくマスコミが騒ぎ出したころ、自信なさげに打席に入っていた王の姿はなく、シーズン終了までに38本塁打を放ち、この年初のタイトルとなる本塁打王と打点王(85打点)を獲得した。
【2008/7/1 スポニチ】
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