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<北京五輪・野球:韓国6-2日本>◇22日◇準決勝
星野ジャパンの金メダルの夢が消えた。日本代表は22日の準決勝で宿敵・韓国と対戦し、2-6と敗れ決勝進出を逃した。1点リードした7回に藤川球児投手(28)が同点打、8回には岩瀬仁紀投手(33)が韓国4番の李承燁(イ・スンヨプ)内野手(32=巨人)に決勝2ランを浴びた。星野仙一監督(61)の継投策が失敗した。12年のロンドン五輪では野球競技は実施されないため、最後の五輪で悲願の金メダルには届かなかった。23日(日本時間午前11時半)に米国と銅メダルをかけて3位決定戦を戦う。
金メダルの夢が破れた瞬間、星野監督はグラウンドに背を向けた。歓喜にわく韓国ベンチ。見たくない現実だった。
星野監督 何かが足りないんだろうが、今はそれを言っても仕方がないだろ。すべてはオレの責任だ。
1次リーグから韓国に連敗を喫し、悲願の道は断たれた。日本代表監督に就任した際、「金メダルしかいらない」と言い切った男は一切の責任を背負った。
「総力戦でいく」継投が失敗した。悪夢の7、8回だった。1点リードの7回、韓国は5番金東柱から始まる攻撃で藤川を投入。しかし、藤川は代打李晋映に同点打を許した。続く8回は1次リーグで2敗と不振が続く岩瀬を投入。「投手はマウンドでしか立ち直れない」という信念を貫いたが、それも裏目に出た。無死一塁のピンチで五輪で初めてマウンドへ行き「1球1球大切にいけ」とゲキを飛ばしたが、岩瀬は李に決勝2ランを浴びた。
勝利の方程式が崩れ、チームは完全に動揺。G・G・佐藤が落球で致命的な5点目を献上した。藤川、岩瀬、上原は日本の必勝パターン。しかしその形にこだわったため、相手の流れを変える大胆な策を打てず結果的に後手に回った。
星野監督 いいリズムで来ていたんだけどね。(8回、李の本塁打の)2点どまりであれば…。
北京入り直後のこと。星野監督が「覚悟している」ともらした。チームの手応えをつかめないまま五輪本番を迎えたジレンマが隠されていた。当初はダルビッシュを「3試合投げさせる」方針を固めた。しかしダルビッシュは13日キューバ戦で5回途中4失点降板。実は五輪前の8日パ・リーグ選抜との強化試合で背中に張りを覚え、万全ではなかった。韓国との大一番でエースを先発に立てられなかったのは“誤算”だった。
五輪前に新井が腰痛、稲葉が臀部(でんぶ)痛、田中が右肩痛、村田がのどの腫れで緊急入院。北京入りしてから川崎が左足甲痛を悪化させ、西岡が右脇腹痛と故障者が続出した。前回アテネ五輪では1球団2人までの人選だった。だが今回はフリーで選手構成の幅は広がったはずだが、今季活躍中の岩隈(楽天)らをメンバーから外し、故障がちな選手に固執して入れ替えはしなかった。その大量の故障者が調整不足を含め機能せず、固定のオーダーも組めなかった。
星野監督は誤算、悪い流れを自らのタクトで力に変えられなかった責任を痛感していた。24人の代表を決めた後に全員に送った手紙には「真夏の北京で季節外れの桜を咲かせよう」と記されていたという。その夢ははかなく散ったが「明日は何とか勝たなきゃ」と気持ちを切り替えた。23日は米国と3位決定戦。4年後のロンドン五輪では野球の種目がなくなる。輝く金は逃しても、意地にかけてメダルは持ち帰る。【寺尾博和】
【2008/8/23 Nikkansports】
星野ジャパンの金メダルの夢が消えた。日本代表は22日の準決勝で宿敵・韓国と対戦し、2-6と敗れ決勝進出を逃した。1点リードした7回に藤川球児投手(28)が同点打、8回には岩瀬仁紀投手(33)が韓国4番の李承燁(イ・スンヨプ)内野手(32=巨人)に決勝2ランを浴びた。星野仙一監督(61)の継投策が失敗した。12年のロンドン五輪では野球競技は実施されないため、最後の五輪で悲願の金メダルには届かなかった。23日(日本時間午前11時半)に米国と銅メダルをかけて3位決定戦を戦う。
金メダルの夢が破れた瞬間、星野監督はグラウンドに背を向けた。歓喜にわく韓国ベンチ。見たくない現実だった。
星野監督 何かが足りないんだろうが、今はそれを言っても仕方がないだろ。すべてはオレの責任だ。
1次リーグから韓国に連敗を喫し、悲願の道は断たれた。日本代表監督に就任した際、「金メダルしかいらない」と言い切った男は一切の責任を背負った。
「総力戦でいく」継投が失敗した。悪夢の7、8回だった。1点リードの7回、韓国は5番金東柱から始まる攻撃で藤川を投入。しかし、藤川は代打李晋映に同点打を許した。続く8回は1次リーグで2敗と不振が続く岩瀬を投入。「投手はマウンドでしか立ち直れない」という信念を貫いたが、それも裏目に出た。無死一塁のピンチで五輪で初めてマウンドへ行き「1球1球大切にいけ」とゲキを飛ばしたが、岩瀬は李に決勝2ランを浴びた。
勝利の方程式が崩れ、チームは完全に動揺。G・G・佐藤が落球で致命的な5点目を献上した。藤川、岩瀬、上原は日本の必勝パターン。しかしその形にこだわったため、相手の流れを変える大胆な策を打てず結果的に後手に回った。
星野監督 いいリズムで来ていたんだけどね。(8回、李の本塁打の)2点どまりであれば…。
北京入り直後のこと。星野監督が「覚悟している」ともらした。チームの手応えをつかめないまま五輪本番を迎えたジレンマが隠されていた。当初はダルビッシュを「3試合投げさせる」方針を固めた。しかしダルビッシュは13日キューバ戦で5回途中4失点降板。実は五輪前の8日パ・リーグ選抜との強化試合で背中に張りを覚え、万全ではなかった。韓国との大一番でエースを先発に立てられなかったのは“誤算”だった。
五輪前に新井が腰痛、稲葉が臀部(でんぶ)痛、田中が右肩痛、村田がのどの腫れで緊急入院。北京入りしてから川崎が左足甲痛を悪化させ、西岡が右脇腹痛と故障者が続出した。前回アテネ五輪では1球団2人までの人選だった。だが今回はフリーで選手構成の幅は広がったはずだが、今季活躍中の岩隈(楽天)らをメンバーから外し、故障がちな選手に固執して入れ替えはしなかった。その大量の故障者が調整不足を含め機能せず、固定のオーダーも組めなかった。
星野監督は誤算、悪い流れを自らのタクトで力に変えられなかった責任を痛感していた。24人の代表を決めた後に全員に送った手紙には「真夏の北京で季節外れの桜を咲かせよう」と記されていたという。その夢ははかなく散ったが「明日は何とか勝たなきゃ」と気持ちを切り替えた。23日は米国と3位決定戦。4年後のロンドン五輪では野球の種目がなくなる。輝く金は逃しても、意地にかけてメダルは持ち帰る。【寺尾博和】
【2008/8/23 Nikkansports】
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