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【8月31日】1982年(昭57) 

 【阪神3-1大洋】何でもないように見えた、三塁へのフライを捕球していれば、この事件は起こらなかった。

 横浜スタジアムの大洋-阪神21回戦、7回表、先頭打者の5番・藤田平一塁手が高く打ち上げた飛球を大洋・石橋貢三塁手が“落球”した。正確に言えば、グラブにも体にも触れず、捕球できなかった。その“落球”が球場の雰囲気を一変させた。

 鷲谷旦三塁塁審の判定はファウル。どこにも触れずにファウルエリアへボールが転がり、止まったのだからファウルだとした。三塁側ベンチの阪神は「フェアグラウンドでグラブに当たってファウルエリアに落ちた。フェアだ」と主張。突然、三塁コーチボックスの島野育夫守備走塁コーチが鷲谷塁審につかみかかり、シャツを引っ張り回した。

 「退場!」。鷲谷塁審がコールするや否や今度は柴田猛バッテリーコーチが騒動を止めに入った岡田和也球審を“攻撃”。右足で3度も急所付近や腹部を蹴り、最後には胸部にパンチが入った。

 胸を押さえて崩れ落ちた岡田球審は、抱えていたプロテクターを人工芝の上にたたきつけ、「もうやってられるか!」と怒りを爆発させた。それを合図に審判団は控室に引き上げてしまった。

 「こんな暴力団相手に試合なんかできない。没収試合だ!」真っ赤に顔を上気させた岡田球審を阪神・安藤統男監督が「すまん、すまん」となだめるが、一向に聞く耳を持たない。没収試合になれば1-1の同点の試合が、9-0で大洋の勝利となる。が、夏休み最後の日に集まった少年ファンを中心に2万2000人の観客を無視することにもつながる。やや落ち着いた審判団は島野、柴田両コーチを退場とし、10分間の中断の後試合再開を決定した。

 「右腕は痛くて上がらないし、胸もズキズキした。判定どころではなかったというのが正直なところ」と岡田球審。試合は皮肉にも問題の飛球を打ち上げた藤田が9回、大洋のエース・遠藤一彦投手から右翼へ2点本塁打を放ち、ゲームを決めた。

 島野、柴田両コーチは無期限出場停止処分、傷害などの容疑で起訴され、罰金5万円を課された。当初は永久追放の重い処分も検討されたが、2人が猛省しているとあって翌年復帰が許された。

 突然起きたようにも見える暴行事件だが、伏線はあった。4回、阪神先発の藤原仁投手のボークの判定をめぐり、阪神側は8分間抗議。この時の感情のわだかまりが、“落球”をめぐって爆発したようだ。

 簡単な飛球を落球した石橋はこの日、大洋の4番・田代富雄三塁手が死球の影響で欠場したため、スタメン出場していた。神奈川大からドラフト外で入団した3年目の選手は、普段は俊足を生かし、代走での起用が多く“ボロ”はあまり出なかったが、この試合なんと3失策でセ・リーグタイ記録。問題の飛球はエラーにはならなかったが、もし記録されていれば4失策のセ新記録、プロ野球タイ記録だった。

 平凡な三塁フライに見えたが、石橋いわく「ボールが何だか欠けて見えた。体が浮き上がっていくような感じで捕りづらかった」。以来、飛球が石橋のところへ上がると「行ったぞおい、大丈夫かぁ」と相手ベンチから野次が飛んだ。

 石橋と阪神の因縁はなおも続く。その6年後の88年5月28日、甲子園での試合で石橋は1試合3本塁打を放った。過去9年間で2本塁打の選手が一夜にして、それを上回るアーチをかけた。現役での本塁打数は通算6本。1試合で生涯の半分を打ったことになる。現役最後の2年間はヤクルトに在籍したが、残した数字以上に記憶に残る選手の1人である。

【2008/8/31 スポニチ】
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