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侍ジャパンの守護神として期待される阪神・藤川球児投手(28)が19日、スポーツ報知のインタビューに応じ、今回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を最後に、日本代表から退く意向を示した。日の丸を背負っての最後の大会となるが、昨季、ストッパーとして、世界でただ一人の防御率0点台(投球回50イニング以上)という誇りを胸に、WBCのマウンドに立つことを宣言した。
今や代表に欠かせないクローザーだが、WBCへのモチベーションは当初、あまり高くなかった。
「最初は出る気もなかった。でも、誰かに何かを求められることの幸せ、レベルが高いところで求められたということを喜びとして受け止めて、糧にして頑張ろう、となった」
昨シーズン終了直後は、V逸の精神的な落ち込みがひどかった。侍ジャパンが前を向く契機になったのは事実。だが、日の丸への強すぎる責任感がブレーキとなった。
「そこ(大会)に向けて努力するのが、しんどい。いくら努力しても、短期決戦は取り返しがつかないことがある。それですべてを評価され、つらいこともあった。若い世代の選手と違い、覚悟がないと今は出られない。相当なプレッシャーがある」
出場には腹を据える必要があった。
「(北京五輪で打たれた)韓国(戦)のことは、夜とか、たまに考えたことがあった。投球のイメージ、自分が投げてサヨナラ負けすることを考えた。松坂、ダルビッシュが投げて勝っている状況で、自分が打たれてサヨナラ負けして、例えば予選落ちして、自分の心がどうなるかを考えた。でも、命まで取られるわけでない。そういうところに行き着いた」
次の準備作業は、いかにして100%の力を発揮するか、だ。
「日の丸という自分たちが背負っているものが重すぎる。今回、僕はそれを脱ぎ捨てていこうかな、と思っている。できるだけシーズンと同じ状態でマウンドに立って、ボールを投げられる状況に自分を置くことが大事。自信と余裕を持てて戦えればいいのかな、と考えている」
大事なのは平常心と自信。最近、自信をつかむきっかけがあった。
「当時(06年のWBC米国戦)のビデオを見ました。あの時の、あの程度の僕の技術でバッター(Aロッド)を差し込んで勝負できるということは、今の方がピッチャーとしての能力は上がっているので、(強打者を抑えるのは)難しくはないかもしれない」
そして、阪神のストッパーとして08年に残した数字も大きな武器となる。
「救援では去年だけで言っても、世界中の誰よりも防御率が良かった。去年、(50イニング以上登板=67回2/3=して)0点台(0・67)は僕だけ。日本でもアメリカでもいない。他(国)のリーグでも、多分いないはず。代表に行って、心の自信、よりどころはそこになる。『俺は世界中で一番だよ』と」
その自信は孤高の領域にまで近づいている。
「もう自分の中での哲学でいかないと、目指すところがない。最近、イチローさんの昔のコメントとかを見て『ああ分かるな』と思う。成績が出だして、イチローさんとか落合(博満=現中日監督)さんとかの昔の言葉、気持ちが分かる。最後は自分との闘いになっていくしかない」
実は今回が最後の日本代表と考えている。
「次? もういいです。今度は自分のためにチャレンジしていきたい。タイガースで先発(転向)するにしても。いろんな意味で自分へのチャレンジがしたい」
06年のWBC、昨年の北京五輪に続く、3度目の国際大会。最高のパフォーマンスを披露し、日の丸から卒業するつもりでいる。
◆国際大会の藤川 06年の第1回WBCにはセットアッパーとして選出された。2次リーグの米国戦で9回のピンチから救援。Aロッドに中前へサヨナラ安打を許したが、4試合で2回2/3を4安打1失点(自責0)3奪三振。防御率は0・00だった。阪神の守護神に成長した08年の北京五輪も、抑えを上原(現オリオールズ)に任せて中継ぎが主だった。4試合で4回2安打1失点7奪三振、防御率2・25の成績も、韓国との準決勝で7回から登板して痛恨の同点打を浴び、チームは逆転負け。メダルを逃した。07年の北京五輪アジア予選の1試合を含め、国際大会の通算は9試合0勝1敗、防御率1・17だ。
(2009年2月20日12時10分 スポーツ報知)
今や代表に欠かせないクローザーだが、WBCへのモチベーションは当初、あまり高くなかった。
「最初は出る気もなかった。でも、誰かに何かを求められることの幸せ、レベルが高いところで求められたということを喜びとして受け止めて、糧にして頑張ろう、となった」
昨シーズン終了直後は、V逸の精神的な落ち込みがひどかった。侍ジャパンが前を向く契機になったのは事実。だが、日の丸への強すぎる責任感がブレーキとなった。
「そこ(大会)に向けて努力するのが、しんどい。いくら努力しても、短期決戦は取り返しがつかないことがある。それですべてを評価され、つらいこともあった。若い世代の選手と違い、覚悟がないと今は出られない。相当なプレッシャーがある」
出場には腹を据える必要があった。
「(北京五輪で打たれた)韓国(戦)のことは、夜とか、たまに考えたことがあった。投球のイメージ、自分が投げてサヨナラ負けすることを考えた。松坂、ダルビッシュが投げて勝っている状況で、自分が打たれてサヨナラ負けして、例えば予選落ちして、自分の心がどうなるかを考えた。でも、命まで取られるわけでない。そういうところに行き着いた」
次の準備作業は、いかにして100%の力を発揮するか、だ。
「日の丸という自分たちが背負っているものが重すぎる。今回、僕はそれを脱ぎ捨てていこうかな、と思っている。できるだけシーズンと同じ状態でマウンドに立って、ボールを投げられる状況に自分を置くことが大事。自信と余裕を持てて戦えればいいのかな、と考えている」
大事なのは平常心と自信。最近、自信をつかむきっかけがあった。
「当時(06年のWBC米国戦)のビデオを見ました。あの時の、あの程度の僕の技術でバッター(Aロッド)を差し込んで勝負できるということは、今の方がピッチャーとしての能力は上がっているので、(強打者を抑えるのは)難しくはないかもしれない」
そして、阪神のストッパーとして08年に残した数字も大きな武器となる。
「救援では去年だけで言っても、世界中の誰よりも防御率が良かった。去年、(50イニング以上登板=67回2/3=して)0点台(0・67)は僕だけ。日本でもアメリカでもいない。他(国)のリーグでも、多分いないはず。代表に行って、心の自信、よりどころはそこになる。『俺は世界中で一番だよ』と」
その自信は孤高の領域にまで近づいている。
「もう自分の中での哲学でいかないと、目指すところがない。最近、イチローさんの昔のコメントとかを見て『ああ分かるな』と思う。成績が出だして、イチローさんとか落合(博満=現中日監督)さんとかの昔の言葉、気持ちが分かる。最後は自分との闘いになっていくしかない」
実は今回が最後の日本代表と考えている。
「次? もういいです。今度は自分のためにチャレンジしていきたい。タイガースで先発(転向)するにしても。いろんな意味で自分へのチャレンジがしたい」
06年のWBC、昨年の北京五輪に続く、3度目の国際大会。最高のパフォーマンスを披露し、日の丸から卒業するつもりでいる。
◆国際大会の藤川 06年の第1回WBCにはセットアッパーとして選出された。2次リーグの米国戦で9回のピンチから救援。Aロッドに中前へサヨナラ安打を許したが、4試合で2回2/3を4安打1失点(自責0)3奪三振。防御率は0・00だった。阪神の守護神に成長した08年の北京五輪も、抑えを上原(現オリオールズ)に任せて中継ぎが主だった。4試合で4回2安打1失点7奪三振、防御率2・25の成績も、韓国との準決勝で7回から登板して痛恨の同点打を浴び、チームは逆転負け。メダルを逃した。07年の北京五輪アジア予選の1試合を含め、国際大会の通算は9試合0勝1敗、防御率1・17だ。
(2009年2月20日12時10分 スポーツ報知)
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