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ボストン・レッドソックスの松坂大輔が、21日(日本時間22日)のトロント・ブルージェイズ戦で今季18勝目をマーク。西武ライオンズ時代の2006年に記録した17勝を抜き、これまでの日本人メジャーリーガーが成し遂げることのできなかった「自分超え」(詳細はこちら)を達成した。
松坂は26日のニューヨーク・ヤンキース戦で、レギュラーシーズン最後の登板が予定されているが、このマウンドで新たな記録に期待がかかる。それは王建民(ヤンキース)の持つ、メジャーの「アジア人年間最多勝利記録」だ。
アジア人として初めて年間2けた勝利を挙げたのは、メジャーデビューの1995年に13勝した野茂英雄(当時ドジャース)。野茂は翌年に16勝で自身の記録を更新したが、これを塗り替えたのが野茂よりも1年早くドジャースでデビューしていた韓国出身の朴賛浩だった。メジャー4年目の97年に初の2けたとなる14勝を挙げ、野茂とともにドジャース先発陣の中心的な役割を担った朴は、2000年には自己最多の18勝をマーク。これで野茂の記録を抜き、「アジアNo.1」となった。
この時点でまだ27歳とあって、朴賛浩にはさらなる上積みも期待されたが、2002年に5年総額6500万ドルという大型契約でテキサス・レンジャーズに移籍してからは故障続きでパッとせず、その後は2005年に2球団で計12勝を挙げたのが最多。そんな朴賛浩の記録を抜いたのが、2000年に20歳でニューヨーク・ヤンキースと契約し、2005年にメジャー昇格を果たした台湾出身の王建民だった。
王建民はメジャー1年目こそ8勝にとどまったものの、2年目の2006年には前半戦で9勝を挙げると、9月22日のタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)戦で朴賛浩に並ぶ18勝目をマーク。シーズン最後の登板となった同月27日のボルティモア・オリオールズ戦では6回4失点ながら打線の援護にも恵まれ、新記録を樹立した。昨年も19勝した王建民だったが、今季は6月15日のヒューストン・アストロズ戦で走塁の際に右ひざをひねり、右足甲付近の捻挫と腱の部分断裂で故障者リスト入り。結局、8勝2敗という成績でシーズンを終えそうだ。
松坂本人はアジア人最多勝うんぬんにはあまり関心を示さないかもしれないが、これもひとつの記録。レギュラーシーズン最終登板で王建民に並び、2年連続のワールドチャンピオン、さらに来シーズンの20勝への足がかりとしてもらいたいと思っているのは、筆者だけではないだろう。
菊田康彦コラム
【2008/9/27 MAJOR.JP】
松坂は26日のニューヨーク・ヤンキース戦で、レギュラーシーズン最後の登板が予定されているが、このマウンドで新たな記録に期待がかかる。それは王建民(ヤンキース)の持つ、メジャーの「アジア人年間最多勝利記録」だ。
アジア人として初めて年間2けた勝利を挙げたのは、メジャーデビューの1995年に13勝した野茂英雄(当時ドジャース)。野茂は翌年に16勝で自身の記録を更新したが、これを塗り替えたのが野茂よりも1年早くドジャースでデビューしていた韓国出身の朴賛浩だった。メジャー4年目の97年に初の2けたとなる14勝を挙げ、野茂とともにドジャース先発陣の中心的な役割を担った朴は、2000年には自己最多の18勝をマーク。これで野茂の記録を抜き、「アジアNo.1」となった。
この時点でまだ27歳とあって、朴賛浩にはさらなる上積みも期待されたが、2002年に5年総額6500万ドルという大型契約でテキサス・レンジャーズに移籍してからは故障続きでパッとせず、その後は2005年に2球団で計12勝を挙げたのが最多。そんな朴賛浩の記録を抜いたのが、2000年に20歳でニューヨーク・ヤンキースと契約し、2005年にメジャー昇格を果たした台湾出身の王建民だった。
王建民はメジャー1年目こそ8勝にとどまったものの、2年目の2006年には前半戦で9勝を挙げると、9月22日のタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)戦で朴賛浩に並ぶ18勝目をマーク。シーズン最後の登板となった同月27日のボルティモア・オリオールズ戦では6回4失点ながら打線の援護にも恵まれ、新記録を樹立した。昨年も19勝した王建民だったが、今季は6月15日のヒューストン・アストロズ戦で走塁の際に右ひざをひねり、右足甲付近の捻挫と腱の部分断裂で故障者リスト入り。結局、8勝2敗という成績でシーズンを終えそうだ。
松坂本人はアジア人最多勝うんぬんにはあまり関心を示さないかもしれないが、これもひとつの記録。レギュラーシーズン最終登板で王建民に並び、2年連続のワールドチャンピオン、さらに来シーズンの20勝への足がかりとしてもらいたいと思っているのは、筆者だけではないだろう。
菊田康彦コラム
【2008/9/27 MAJOR.JP】
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