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【1月15日】1969年(昭44) 


 09年のドラフト会議で6球団競合の末に西武入りした岩手・花巻東高、菊池雄星投手の言動が各スポーツマスコミを賑わしている。40年前、東京六大学でリーグ新記録(当時)の22本塁打を放ち、プロ入りした大型新人の一挙手一投足にも野球ファンの注目を集めたことがあった。法政大から阪神にドラフト1位で入団した、田淵幸一捕手のプロ初練習に甲子園は異常な盛り上がりをみせた。

 バットを振るわけでもなく、ボールを扱うのはキャッチボールの時だけ。飛んだり跳ねたり走ったりの2時間にもかかわらず、甲子園には500人超の阪神ファンが駆けつけた。巨人入りを熱望していた何十年に1人といわれるスラッガーが、意を決しての阪神入り。甘いマスクだけでなく、その心意気に人気急は上昇。打倒巨人の期待を込めて虎党が田淵をひと目見ようと集まってきた。

 甲子園のロッカールーム。すでに村山実投手と並ぶエース格となっていた江夏豊投手の隣のロッカーで背番号22のユニホームに袖を通した。「グッとこみ上げてくるものがあった。大声で叫びたくなるくらい興奮した」と田淵。後藤次男監督のあいさつの後、ランニングを開始。田淵は他の3人の新人ととともに先頭を走った。

 スーパールーキー自身も興奮していたが、それ以上にスタンドのファンは熱かった。「田淵!頑張れよ!」「お前に任せたで!巨人、やっつけてや!」。1メートル83、78キロの22番がグラウンドに姿を見せるや否や、拍手喝采。100人以上集まった報道陣のカメラの方列も新指揮官の後藤監督や村山ではなく、田淵を追い続けた。

 阪神側もここぞとばかり、マスコミに将来のスター選手を売り込んだ。柔軟体操のペアは大ベテランでタイガースの野手の顔、吉田義男内野手と組ませた。背中を押す吉田、顔をしかめる田淵の絵柄はカメラマンを大いに喜ばせた。

 極めつけは2時間の練習終了後、村山が田淵を呼び止めて激励するシーン。「どんなに苦しいことがあっても歯を食いしばって頑張れ」と村山。田淵が笑顔で応えるという場面は、半ばマスコミ側からの要望もあって設定されたものだった。

 スーパールーキーはキャンプ、オープン戦とも大人気。公式戦に入ってもその人気は衰えず、“田淵効果”で甲子園球場での主催試合観客動員数は、前年の76万5500人から102万4300人と大幅増加。優勝した64年以来、5年ぶりに100万人の大台に乗せた。

 その田淵の1年目は117試合に出場。打率こそ2割2分6厘で規定打席到達27選手中下から2番目の26位だったが、本塁打は背番号と同じ22本。阪神の日本人選手としては最多で、新人王を獲得した。

 40年後のスーパールーキー菊池は何勝できるだろうか。背番号と同じ17勝できれば新人王、さらにそれ以上のタイトルを1年目から獲得できることは間違いない。


【2010/1/15 スポニチ】
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