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【9月23日】1967年(昭42)
【大洋9-0阪神】きっちり1分間だった。大谷泰司球審が甲子園球場のバックネット近くでマイクを握った。「規定(野球規則4・15のd)に従ってプレーボールをかけたが、1分たっても阪神の選手が守備につかない。守備につく余裕は十分あったのに、それをしなかったので放棄試合としてゲームセットを宣告します」。
48分間の中断の末に出した決断だった。涙声の大谷球審に、阪神・後藤次男コーチらが「山内(和弘左翼手)が出ているじゃないか。他の選手も出るところだったんだぞ」に猛抗議。それでも球審は受け付けなかった。「9人全員出ていなければ、再開に応じたとはいえない」。放棄試合で相手チームの大洋が9-0で勝利。個人記録は正式に試合が成立していないため、記録されなかった。
史上5度目の放棄試合は、永遠に解決の糸口が見えない「言った」「言わない」の論争だった。1回表、大洋は阪神先発のジーン・バッキー投手の乱調につけ込み3点を先取。なおも二死満塁で9番・森中千香良投手まで回ってきた。カウント2-0からバッキーが投げたナックルはワンバウンド。それでも左打者の森中は空振り。大谷球審は右腕を上げた。
森中は三振と思いベンチに引き上げようとした。阪神・和田徹捕手はワンバウンドの球を捕球、ベンチに戻ろうとする森中にタッチしようとした。この場合、直接捕手が投球を捕球したわけではないので、打者にタッチするか、一塁に送球するか、満塁だったためホームベースを踏むかでないとアウトにはならないからだ。ところが、森中を追ったはずの和田はタッチせずに、ボールをコロコロっとグラウンドに転がし、一塁側ベンチに帰ってしまった。その瞬間、大洋ベンチから声が上がった。「森中、走れ!走れ!」。一瞬キョトンとしていた森中だが、言われるままに一塁へ全力疾走。三塁走者の松原誠一塁手もホームを踏んだ。
阪神・藤本定義監督、和田、バッキーが血相を変えて飛んできた。大谷球審は言った。「スリーストライクのゼスチャーであって、スリーアウトの成立はしていない。だから試合はインプレー。早く守備についてください」。和田が反論した。「森中にタッチに行ったら、あんた、スリーアウトと言ったじゃないか。絶対に聞き間違いじゃないで。だからベンチに帰ってきたんや」。「スリーアウトとは言っていない。スリーストライクだ」と大谷。「いや絶対スリーアウトと言った」と阪神ベンチ。こうなるとらちが明かない。
執拗に抗議する藤本監督や山田伝コーチはついに大谷球審を小突きだす始末。ついには「やってられるか」と藤本監督は選手全員をロッカールームに引き上げさせた。審判団が藤本監督に「このままだと放棄試合になりますよ」と忠告。藤本監督は「黙れ。ワシはクビをかけてやっとる。エラそうなこといいやがって、こんなふうにしたのは貴様たちやないか!」と怒鳴った。
「放棄試合はマズい」。球団上層部も試合だけは続行するようにと藤本監督に伝えたが、明治生まれの頑固男は首を縦に振らない。「オレはやらん。後藤、お前が後やれ!」と後藤コーチに命令すると、ロッカーからも消えてしまった。阪神の選手も選手だ。中にはさっさと風呂に入ってしまう者まで出るほどで、。あきれた大洋側も当初ベンチに座って待っていたが「始まるようだったら教えて」と三原脩監督が言い残すと、ベンチ裏に消えていった。
結局、一度は再開の方向だったものの、大谷球審が「藤本監督退場で再開」と阪神側に伝えたため、阪神はベンチはまた激怒。混乱のうちにプレーボールがかけられ、守備になかなかつかなかったタイガースの放棄試合とみなされてしまった。セ・リーグでは1954年(昭29)7月29日、大阪球場での阪神-中日戦以来2度目の不祥事。この時もその“主役”は阪神だった。セでの放棄試合は以後1試合もない。
巨人の優勝がほぼ決まり、半ば消化試合だった阪神-大洋戦の観衆は3000人と発表されたが、放棄試合に伴う入場両払い戻しのため窓口に来たのは848人。観客の“水増し”発表は、明らかだった。
【2008/9/23 スポニチ】
【大洋9-0阪神】きっちり1分間だった。大谷泰司球審が甲子園球場のバックネット近くでマイクを握った。「規定(野球規則4・15のd)に従ってプレーボールをかけたが、1分たっても阪神の選手が守備につかない。守備につく余裕は十分あったのに、それをしなかったので放棄試合としてゲームセットを宣告します」。
48分間の中断の末に出した決断だった。涙声の大谷球審に、阪神・後藤次男コーチらが「山内(和弘左翼手)が出ているじゃないか。他の選手も出るところだったんだぞ」に猛抗議。それでも球審は受け付けなかった。「9人全員出ていなければ、再開に応じたとはいえない」。放棄試合で相手チームの大洋が9-0で勝利。個人記録は正式に試合が成立していないため、記録されなかった。
史上5度目の放棄試合は、永遠に解決の糸口が見えない「言った」「言わない」の論争だった。1回表、大洋は阪神先発のジーン・バッキー投手の乱調につけ込み3点を先取。なおも二死満塁で9番・森中千香良投手まで回ってきた。カウント2-0からバッキーが投げたナックルはワンバウンド。それでも左打者の森中は空振り。大谷球審は右腕を上げた。
森中は三振と思いベンチに引き上げようとした。阪神・和田徹捕手はワンバウンドの球を捕球、ベンチに戻ろうとする森中にタッチしようとした。この場合、直接捕手が投球を捕球したわけではないので、打者にタッチするか、一塁に送球するか、満塁だったためホームベースを踏むかでないとアウトにはならないからだ。ところが、森中を追ったはずの和田はタッチせずに、ボールをコロコロっとグラウンドに転がし、一塁側ベンチに帰ってしまった。その瞬間、大洋ベンチから声が上がった。「森中、走れ!走れ!」。一瞬キョトンとしていた森中だが、言われるままに一塁へ全力疾走。三塁走者の松原誠一塁手もホームを踏んだ。
阪神・藤本定義監督、和田、バッキーが血相を変えて飛んできた。大谷球審は言った。「スリーストライクのゼスチャーであって、スリーアウトの成立はしていない。だから試合はインプレー。早く守備についてください」。和田が反論した。「森中にタッチに行ったら、あんた、スリーアウトと言ったじゃないか。絶対に聞き間違いじゃないで。だからベンチに帰ってきたんや」。「スリーアウトとは言っていない。スリーストライクだ」と大谷。「いや絶対スリーアウトと言った」と阪神ベンチ。こうなるとらちが明かない。
執拗に抗議する藤本監督や山田伝コーチはついに大谷球審を小突きだす始末。ついには「やってられるか」と藤本監督は選手全員をロッカールームに引き上げさせた。審判団が藤本監督に「このままだと放棄試合になりますよ」と忠告。藤本監督は「黙れ。ワシはクビをかけてやっとる。エラそうなこといいやがって、こんなふうにしたのは貴様たちやないか!」と怒鳴った。
「放棄試合はマズい」。球団上層部も試合だけは続行するようにと藤本監督に伝えたが、明治生まれの頑固男は首を縦に振らない。「オレはやらん。後藤、お前が後やれ!」と後藤コーチに命令すると、ロッカーからも消えてしまった。阪神の選手も選手だ。中にはさっさと風呂に入ってしまう者まで出るほどで、。あきれた大洋側も当初ベンチに座って待っていたが「始まるようだったら教えて」と三原脩監督が言い残すと、ベンチ裏に消えていった。
結局、一度は再開の方向だったものの、大谷球審が「藤本監督退場で再開」と阪神側に伝えたため、阪神はベンチはまた激怒。混乱のうちにプレーボールがかけられ、守備になかなかつかなかったタイガースの放棄試合とみなされてしまった。セ・リーグでは1954年(昭29)7月29日、大阪球場での阪神-中日戦以来2度目の不祥事。この時もその“主役”は阪神だった。セでの放棄試合は以後1試合もない。
巨人の優勝がほぼ決まり、半ば消化試合だった阪神-大洋戦の観衆は3000人と発表されたが、放棄試合に伴う入場両払い戻しのため窓口に来たのは848人。観客の“水増し”発表は、明らかだった。
【2008/9/23 スポニチ】
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