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【9月30日】2001年(平13) 

 【近鉄12-4ダイエー】1番打者に置いた親心もむなしかった。4打席18球のうちストライクはわずか2球では、打とうにも打てない。1964年(昭39)、巨人・王貞治一塁手がマークしたシーズン55本塁打に並んだ、近鉄のタフィ・ローズ外野手は日本新記録の56本塁打を狙うべく4回打席に立ったものの、ダイエーバッテリーの“ボール攻め”の前に37年ぶりの記録更新のシーンはお預けとなった。

 ダイエーの監督こそ、記録保持者である王監督その人。試合前、ローズと談笑した王は「60本だぞ、いいな!」と自らの記録を破るどころか、60本打てと激励していたはずだった。なのに試合が始まると、先発田之上慶三郎投手の初球はまるで敬遠のような遠く高く外れるボールだった。

 裏切られた、というより、大好きな日本のプロ野球はこうまでして外国人に新記録を樹立されるのを嫌うのかと思うと情けなくなった。「1打席でも可能性は多い方がいいから…」と、心を砕いてくれた自分のボス、近鉄・梨田昌孝監督の複雑な表情をローズは悲しくてまともに見られなかった。

 試合前のダイエーのバッテリーミーティング。若菜嘉晴バッテリーコーチは言った。「近鉄に優勝されるわ、監督の記録は抜かれるわじゃ申し訳が立たない。外国人に抜かれるのは嫌だ。王さんは記録に残らなければいけない人。ローズに積極的になるな」。ミーティングに王監督は参加していなかった。

 チームで野球をやっている以上、個人の気持ちはどうであれ、決めたことには従わなければならない。城島健司捕手はローズが打席に入るたびに「ゴメンな、ゴメンな…」と謝った。投げる田之上も「ローズもつらいだろうが、投げる方はもっとつらい」とやりきれない心情を吐露。プロ12年目で勝ち取った勝率1位のタイトルもなんだかかすんで見えた。

 第1打席はストレートの四球、2打席目はカウント0-3からややボール気味の球に手を出しファウルにしたが、結局歩かされた。チャンスがあったとすれば5回の第3打席。初球、内角低めの真っ直ぐに前田亨球審の手が上がった。「ストライーク」。やっと勝負してくれるのか、と思うより、早く手を出さなければとローズは焦った。2球目はインコース高めボール気味の真っ直ぐにバットを強振したが、打球は遊飛。そして7回の4打席目。初球に外そうとした直球がたまたま中に入りストライクとなったが、あとは完全なボール球で1-3。ローズはついにキレた。

 5球目、遠く外れたボールを苛立ち紛れに空振り。もう冷静ではいられな。高目に大きく外れたボールをたたきつけるように打ったが二ゴロ。井口忠仁二塁手が難なくさばいた。

 「またバースの時と同じだ」。多くのプロ野球関係者が16年前を思い出し、ため息をついた。阪神が21年ぶりに優勝した1985年、主砲のランディ・バース一塁手は残り2試合で1本ホームランを打てば、当時巨人を率いていた王監督の55本塁打に並ぶことになっていたが、残る2試合は巨人戦。王監督というより、巨人バッテリーがバースと勝負せず、9打席6四球。完全なボール球を2本ヒットにしたことが、バースのせめてもの意地だった。

 残りはオリックス戦2試合。ブルーウェーブ投手陣は逃げずに勝負をしてくれたが、力んだローズのバットから快音は聞かれなかった。ダイエー戦でのボール攻めで、精神的にダメージを受けたことがプレッシャーになり、バッティングフォームは崩れていた。

 ローズが再び日本記録に挑戦するチャンスが訪れるだろうか。40歳を過ぎても40本前後のアーチを放つパワーは目を見張るばかりだが、現実的には50本以上はそう簡単に打てるものではない。もしかしたらあの01年が最初で最後のチャンスだったかもしれない。ローズの本塁打は08年9月29日現在、通算441本。あのミスタープロ野球、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の444本まであと3本に迫っている。

【2008/9/30 スポニチ】
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