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【9月23日】1989年(平元) 

 【西武16-2ロッテ】秋分の日。快晴の西武ライオンズ球場に集まった4万5000人の観衆は、レオの若き4番のグランドスラムに驚嘆し、その30分後の飛び蹴りにあ然とした。

 西武-ロッテ23回戦の3回裏、ライオンズの清原和博一塁手は平沼定晴投手から区切りの30号本塁打を放った。プロ入り3本目の満塁弾。4連覇に向かってばく進するチームに勢いをつけ、3回にして8-0と大勝ムードとなった。

 そして4回。清原は再度平沼と対戦した。その初球。「ホームランを打たれているし、まずは内角を厳しく突こうと思った」平沼の140キロのストレートは、清原の左ヒジを直撃した。

 間髪入れず、清原は右腕で持っていたバットを平沼に向かって投げつけた。グラウンドで一度跳ねたバットは平沼の左太ももに命中。さらに清原はマウンドに突進。平沼にとび蹴りを食らわせた。

 さあ、乱闘のゴングが鳴った。ロッテベンチも黙っていない。全米アームレスリング選手権野球選手の部で優勝した、“ランボー”ことマイク・ディアズ外野手が真っ先に飛び出し、清原にタックル。さらにヘッドロックで地面に押さえつけた。

 「投げる前から狙っているような感じやった」という清原だが、その行為が正当化されるはずはない。この試合の責任審判の斉田忠利二塁塁審が退場を宣告。さらにパ・リーグは即日「厳重戒告、制裁金30万円、出場停止2日間」の処分を下した。清原の連続試合出場は490で途切れた。

 翌24日のロッテ24回戦前、清原は西武・辻発彦選手会長とともに、平沼に謝罪。平沼は左肩、左太もも挫傷で全治2週間と診断されたが、登録抹消にはいたらなかった。

 「カッとして気がついたらバットを投げつけていた。その行為に一番心が痛み、反省しています」とさすがにヘコんだ清原だが、やはりタダ者ではなかった。

 「緊張して、足が震えた」という復帰戦は26日の近鉄21回戦。初回、小野和義投手の初球をいきなり左翼へ先制の31号2点本塁打。5回にも小野から4年目にして自己最多(当時)となる32号2ランをかっ飛ばした。

 死球にまつわるエピソードには事欠かない清原の通算死球は196個(07年8月末現在)。2位竹之内雅史外野手(元阪神)の166個に大差をつけ、堂々の日本記録保持者である。

【2007/9/23 スポニチ】
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