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【9月11日】1979年(昭54) 

【ロッテ5-0日本ハム】閑古鳥の巣、観衆3500人(実際は1000人以下)の川崎球場はロッテ・リー兄弟の独壇場となった。

 日本ハムとの後期9回戦の2回、まず兄の4番DHレロン・リーが杉山知隆投手から右翼最上段へ22号ソロ、続く弟のレオン・リー一塁手が、独特の高く舞い上がる“タワーリング・ホームラン”を左中間スタンドへ放った。

 3回、レオンが同じ杉山から25号ソロを左翼へ。6回、二塁に有藤道世三塁手を置いて、杉山から代わった間柴茂有投手の直球をレロンが右へ23号2点弾。兄弟で全打点を稼ぎ、4発の援護をもらった仁科時成投手が日本ハムを2安打完封した。

 リー兄弟のアベックホーマーはこの年だけで8回と珍しくはないが、共に2本ずつというのは初めてのことだった。3ホーマーを打たれた、杉山はひと言「天中殺や!」と、この年流行った何をやっても天が味方しないという意味の言葉を叫んだ。

 79年、兄以上に弟は好調だった。兄の28本に対し弟は35本塁打。9月は月間MVPまで獲得し、副賞のコメを川崎市の児童施設に寄付した。

 妻と子供が新学期で帰国してから火を吹き出したバット。好調の理由の一つは、家族の帰国と入れ替わりに“同居”することになった、当時の爆発的な人気テレビゲーム機「スペース・インベーダーゲーム」を心置きなく、自宅で楽しめたからだった。

 インベーダー=宇宙からの侵略者、の攻撃をかわしながら、相手をつぶしていくシューティングゲームは、前年暮れから大ヒット。子供が100円のゲーム代欲しさに窃盗をしたり、5円玉にセロテープを巻いて100円硬貨を“偽造”するなど、社会問題化した。

 熱烈なロッテファンの会社社長がシーズン前、レオンに「ホームラン20本以上打ったらインベーダーの機械を買ってやる」と約束。見事、約束を果たしたレオンは1台30万円以上のインベーダーを買ってもらい、ナイターが終わると急いで自宅へ。大好きなインベーダーを真夜中まで楽しみ、寝不足で球場に来てもちゃんと結果を残した。ちなみに、兄レロンの趣味は飛行機のプラモデルを作ることだった。

 通算打率3割2分で首位打者、本塁打王など4つのタイトルを11年の間に獲得した兄に対し、レオンはロッテ、大洋、ヤクルトと渡り歩いた10年間、無冠に終わった。それでも通算打率は3割8厘。優良助っ人の1人として記憶に残る選手だ。

【2007/9/11 スポニチ】
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